悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11358720992.html">それもまたいいんじゃないかな</a>

藤子のブログ

1枚だって気に入った写真撮れたことない

簡単そうに見えることも

やってみると なんでも相当に難しい

花を花瓶に収めることも

それを写真に撮ることも

それが上手く出来ないと語ることも

なにひとつ まんぞくに出来ない

50年も生きてきて

まんぞくに出来ることが1つもないとは 愕然とする

ごく自然に 飾りたいと思ったのに

逆にどんどん 不自然になっていく 

花も

写真も

言葉も

全部が嘘っぽい

多分

飾りたいと

思った時点で

すでに不自然へのベクトルが働いているんだろうな

と、

無理矢理 理論づけてみたり

そもそも 人間は 自然なのか 人工なのか

生まれたては 自然だったはずだけど

人工的に いっぱい身につけて

いったい 何を目指しているのか 自分自身よくわからない

本ばかり読んでいて

本の感想は書けても

自分の思いが 今どこにあるのか

もしかしたら本の上をただ横滑りしているだけで

心も

言葉も

実のところは 行方不明なんじゃないかと

この世にあるのかなと

魂が彷徨ってる気がしないでもないけど

ん~

時には それも有りなのかなって

いつか

どこかに着地出来るかもしれないし

出来ないかもしれないし

着地しなくちゃいけない理由もないし

虚しさを

虚しいまま 心に抱えて眠りにつくことが

案外人間らしいんじゃないかと

半分ウトウトしながら 考えたりした

おやすみなさい。今日もお疲れ様でした。