悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11368625078.html">岩波</a>

昭和49年発行のバラバは、アマゾンで購入。

62年前の本か・・・愛おしい・・・

久しぶりにカバーの無い岩波文庫がとても懐かしい。

子供の頃、家ににあった岩波文庫パラフィン紙に包まれていたと記憶している。

一様に日焼けし茶色を帯びてグズグズになったパラフィン紙が本にしがみついていた。

そんな岩波文庫は、私にとって難しい本、大人の特別な本として、インプットされてしまった。

そしていつの間にか家から岩波文庫がごっそり消えていた。

父が処分したのだと思う。

ということは、

父の本では無かったということだ。母か祖父母か・・・

今になってみれば、残しておいて欲しかったと思うが、まぁ仕方ない。

藤子のブログ

右が昔の懐かしい岩波文庫。帯の色で種類分けされている。

左は現在のツルツルなカバーの岩波文庫。まるで別人、でも本のカバーとしては地味でいい。

岩波文庫は色で種類分けされていて、並べてもすっきり綺麗。

書店でも岩波文庫は、何か特別な感じがして、岩波文庫の書棚だけは、全部丁寧に眺める。

決まりきった本がいつものように並んでいるだけなのに、

それでも眺めていると、気分が高揚してくる。

なんで本のタイトル眺めているだけでドキドキ出来るのかはわからないけど。

バラバの中でこんなセリフがある。

『神をもってないからといってその人間を裁く権利はわれわれにはない』

これが著者(ラーゲルクヴィスト)の伝えたい思いなのであろうか。

神を信じる者たちは、イエスに導かれ気高く死んでいった。

バラバは、信者からすればまるっきり見当違いなのだけど、

間違ってはいても、バラバなりのイエスと共に死んでいった。

周囲の者には迷惑だとしても、バラバ自身にはそれが救いとなったように思う。

私はこういうキリストに纏わる物語が大好き。

大好きなのに唯一の神の存在は信じることが出来ない。私もバラバなのです。

結局、本を読んでも答えなんてない。

本は的を得た答えがあるわけではない。

でも何か救いがある。その救いを見つけ出すのは自分自身の他ないように思う。