悠久の片隅

日々の記録

ふるさとの生活

ふるさとの生活 (講談社学術文庫)

ふるさとの生活 (講談社学術文庫)

ここから東の方へ何十里、または西へ南へ北へ何十里、そこにはどんな村があり、どういう社会があるのか、

あの山脈の向こう側には、いかなる生活が営まれているか。

今はまだ知っている人が少ないが、それを想像してみようとするような若い人々が、たくさん出てこなければ、

国はけっして団結することができない。

国を一つの大きな問題として、皆でこれから考えてゆくためには、もう少しおたがいよその土地のことを、

知っていなければならぬのであった。

柳田国男」のまえがきより、一部抜粋

この本の著者の宮本常一は、人が行かないような土地を日本中旅した人で、

村のなりたち、暮らしぶり、休日、人々の移動、村の滅びゆく姿を書き記している。

平仮名が多いので、子供向けに書かれたのでしょうね。


旅というと大抵の人の足は観光地に向かう、

でもこういう人たちもいる。仕事としてでなく好きで歩いている。

(ちょっと変わってるよね・・・)といわれるようなマイノリティーな人たちのコツコツ積み上げたものが、

これからの日本の本当の財産になるように思います。

日本は平和絶対主義で、それは和を大事にする精神からいえば良いのだけど、異分子を拒絶し、

新しいものが生まれる芽を摘みやすい。

人の和と個性は相反する面があるから共存がなかなか難しい。

オタクといわれる人たちは、世間から弾き出され、

そのために内にこもり、自分のペースで、わき目もふらず好きなものに固執することが出来る。

他人の目やお金や自分の生活も関係なく、そこだけにエネルギーを注ぎ、長い年月の間に何かしらの形になる。


この前、近所の小学生に「どんな歌が好きなの?」と聞いたら

「ディープパープル」という。

「へっ?AKBとかじゃないの?」と聞くと

「んーAKBわかんない」という。

そういえば、この子の家はテレビみないと言ってた。

二人で「♪じゃ、じゃ、じゃー、じゃっ、じゃっ、じゃじゃー♪」と、

スモークオンザウォーターをエアギターしながら帰ってきた。

「ギター好きなの?」と聞くと

ウクレレが好き」という。

「へっ?なんでウクレレ?」と聞くと

「わかんないけど、好きなんだよ。」という。

そうか、子供の好きに理屈はない。

「で、ウクレレを習ってるの?」と聞くと

「習ってないよ。持ってるけど、自分で勝手に弾いてるよ。」という。

アナタ、素晴らしい子だねー。

「今度聴かせて。」というと

「んーいつがいいの?」とやる気満々。

お友達とウクレレ談などすることが無いから、嬉しいのかもしれない。

AKBは知らないし、学校では浮いてるのではないかと思うけど、

こういう孤独と対峙しながら我が道をいける子は心配ない。今、強い力が蓄えられている。

しかも習うのでなく、自分で想像し弾いている(生み出す)というのは、今の日本の子供に無い力で、

親が何でも手を出さないことも大切で、この子はきっと大成する。

(大成というのは、幸せを感じられる人生という意味で)

本来子供は、自分の知らない世界で遊ぶ子に興味をもって欲しいと思うけど、

日本の社会は異質は抹殺されてしまう。横一列の流行の方が大事になってる。

この前アメリカから帰国した、はとこは

「アメリカは洋服に流行が無いから楽だよ。」と言っていた。

流行はあるのだろうけど、ほとんどの人は気にもしてないし、車など日本では廃車クラスを余裕で乗ってる。


もう10年以上前だが、ブラジルの先生に聞いたことがある。

ブラジルでは

学校は学問を学び、

家庭と教会で道徳を学び、

スポーツクラブで、運動を学ぶと。

なので、学校は午前中だけです。

子供の世界が、学校と限定されていなければ、

たとえイジメがあったとしても、別の場所で心を開放することが出来るのではないかな。

日本は、子供を学校という枠の中だけに押し込み縛り付けていないか。


知識を得るだけが勉強じゃない。

料理すること、散歩をすること、家のお手伝いをすることの中にも学びがある。

それによって、学力といわれるものが低下して世界から遅れをとることが心配?

私は競うことに負けてもいいと思う。経済大国でなく、経済小国でもいいと思う。

資源不足が言われている中、経済大国など自慢にもならない。

生きる道は皆それぞれで、何かを歪めてまで横一列に並びたくない。

私は父親に勉強しろと言われたことは1度も無い。本を読めも1度も無い。

好きな音楽だけをずっとさせてくれたことに感謝してる。音楽は世界共通で楽しめる。

親は子供に将来苦労をさせたくないから心配してあれこれ言うけど、

失敗して苦労することが悪いとも限らない。


そういえば以前

お友達が「うちの娘、どうしょうもない彼氏にお金つぎ込んでて・・・」という。

「えっ別れさせないの?」と言うと

「熱くなってるところに何を言っても無駄よ。逆に余計熱くなるだけ。

傷つくことはわかっていても、本人がわかるまで放っておくしかないのよ。

自分の若い時を思い出したら、そうでしょ?」

なるほど。

愛は傷つくことも

傷ついた苦しみから、やがては何かに気付いて笑える日がくることも、

その後悔が大切なことも彼女は身をもって知ってる。

多分、親として黙って見守ることが一番辛いと思うけど、

子供に手をかける方が案外親はラクで、つい口や手を出してしまうんじゃないかな。


海外ではパーティーが多かった。

土日に家で家族だけで過ごすことは、ほとんど無かった。

なので、子供は

大人の邪魔をしてはいけないこと。

食べ物がいっぱいあっても、人数分の一しか食べてはいけないこと。

大人しくしてなくてはいけないこと。

その躾が幼いうちから厳しくされている。

決して主役を子供にしない。

パーティーというのは、

マリーアントワネット流にいえばサロンで、

その都度、様々な人との交流がある。

定義があるわけではないけど、日本の居酒屋での飲み会とは趣旨が違う。

知っている人、知らない人問わず、議論を展開する場で、自分を高める為の集い。

マリーアントワネットと違うのは

こちらは庶民なので、食べ物、飲み物は各自持ち寄り。

一品作ってもっていく。

おじさんが短パンで来るのも普通だし、裸足でくる人もいる。

裸足というのは、靴下でなく、家から靴を履いてこない。

靴下や靴が好きじゃないという。

裸足の感触が一番好きだから、裸足なんだそうだ。

「子供と一緒なのね♪」と思わず言ってしまう。

日本人は多分五感より思考が優先で、大人が他人の家に裸足でいったら常識を疑われるということになる。

日本人は靴(わらじ)は大地にくっついているものらしい。

他の国では、身体にくっついているものらしい。

それが、家で靴を履いているかどうからしいけど。


日本人に個性が無いというのは、思考優先で動いているからではないかな。

思考なら、横一列になりえる。特に教育が与える影響は大きい。

でも五感優先なら、嗜好はそれぞれ。

子供が裸足が好きなのは裸足が気持ちいいと感じているからで、

大人がそう感じても不思議ではない。

靴を履こうが履くまいが、自分の五感に即して生きる。

だから発想も皆それぞれで面白いけど、国がバラバラになるから海外では独裁者が必要となる。

靴を履いてこなかった彼は、その後日本に来てモデルしてた。

日本では礼儀と常識が大事♪と、靴を履いてた。没個性(笑)

まぁ日本のジメジメした風土の中で裸足は不快なのかもしれないけど。

個性とは、自分の嗜好を思考で抑えないものかと思う。


毎週末のパーティーというと、楽しそうに聞こえるかもしれないけど、

家でゴロゴロTVでもみていた方が、余程らくちんだけど、

夫婦参加が基本であるし、妻は子供と家で留守番なんてことはない。

プライベートなことより、社会について皆で語り合う場で、

芸能人やドラマの話題よりは少なくとも建設的で楽しい。

大人の学校みたいなもので、不可欠な場で、それを日常としてる。

彼等は勉強の場とは捉えてないと思いますけどね。

そのような場は、日本では設けなければあまりない。

私はそれが大きな差になっていると思う。