悠久の片隅

日々の記録

新シルクロード

ケーブルTVで、NHKスペシャルの『新シルクロード』みてた。

遊牧民たちが、果てのない草原を馬で駆け巡っている姿は、壮観でした。

広い大地をあれだけ自由自在、風をなびかせ全速力で走れたら、多少イヤなことがあっても吹き飛んでしまうと思う。

長老は言ってました。

「人馬一体。愛馬は自分以外は誰も乗らない。私が死んであの世に行ってもこの馬に乗っていたい。」と。

そして

「だから自分が死んだら、この馬も一緒に葬って欲しい。」と。

あらららら、と思ったけど、

人馬一体は、言葉だけのことじゃないんだな。

『言葉だけじゃない』ってことが、生き方の大きな差かもしれない。


クマラジュウ(僧侶)の話も良かった。

武力で捕らえられ、脅され酒と妻を無理強いされ、

それは戒律を破ることになり、死も許されず、破戒僧という汚名を着せられ、幽閉された。

失意の中、幽閉された時間の中で中国語を学び、

サンスクリット語から中国語に訳された仏典に誤りが多いことに気付く。

「翻訳とは、自分で噛んだものを人に食べさせるようなもんだ。味がわからなくなるどころか、吐き気をもよおす」と。

自分なりの解釈もまじえ、仏典を編纂する。

空即是色 色即是空、

煩悩があるから人は、悩み、救われる。

煩悩があっても人は極楽浄土へいくことが出来る。

これらは元々のインド仏教の教えにはなかったもので

これが、今の日本の仏教の原点になっている。


シルクロードは、西から東へ、東から西へ、

文化、美術、宗教、思想、言語、物品、人種あらゆるものが交わった。

そして今もなお、砂漠の砂の下には歴史がうずくまっている。

でも、どうか、もうこれ以上破戒することなく、変わらずに、いて欲しいと願う。

砂の下に眠るものは眠ったままでいて欲しいと思うし、

各国へ散らばってしまった歴史の品々は、シルクロードに戻して欲しいと思う。

これ以上何も失われることがないように。

あのあたりは、政局が不安定だったり、エネルギーが眠ってたりで、

人間の様々な思惑が絡んでいるようだけど、

シルクロードは交流の原点。地球規模で守っていかなければならない所だと思う。