悠久の片隅

日々の記録

ホームズ対フロイト 第三部

第三部。

あまりに面白くて、

今晩最後まで読んでしまいたい、

でも、もったいないから明日ゆっくり読むことにしよう

などと思いながら、期待いっぱいで読み進めていったら、

私のひらめきとはまったく異なる終わり方に、唖然・・・・・

しかも、あとがきで、わけわからなくなった。

ム、ムズカシイ・・・・・


人間は1人の中に元々男女両方の性をもっていた。

ユングは、

男性が理想とする女性像は、男性自身の中で抑えられている自分自身の女性の投影だという。

エミリーは、人は両性をもっているので男でも女でもどちらでも好きになることはあるのでは?

同性愛は、成長上の感情の固執ともいえないという見解を見出す。

私の予想では、エミリーという人間は、

捜査が打ち切りになり、自分がもう追われないとわかった時点で、

そのことが逆に罪悪感を深め、自ら出頭することになる。

ホームズの捜査打ち切りは、それを予め狙ったものだと確信してた。

エミリーは自分を欺けない・・・と思っていたので見事に裏切られてショック!

ただそれも、

今のように法が女性に対しても正しく裁かれるという前提があってのことで、

当時の社会の女性蔑視が、ユダヤ人への蔑視のようにあったなら、

法に委ねることは、楽観的すぎるのだと思う。

第三部では、後見人という悪人も実は精神の病いだったことがあきらかになる。

病気が犯罪を犯させ、病気が自らの命を失わせた。

だから裁かれる人はいない。ということなのだと思う。

ホームズの科学からの論理も、フロイトの心理からの論理も、

それがどれだけ緻密だったとしても、それで解決出来ない部分がある。

それを柔和に紡いだのが今回、ワトスン先生の役回りだったと思う。

この物語は、多くのことが絡み合っていて、

私には消化しきれないし、まとめる力もないけれど、

久しぶりの推理小説はダイナミックで面白かった。


去年は本をガツガツ読んだけど、今年はゆったり読めたらいいなと思ってる。

どんなにガツガツしたって、死ぬまでに読める量なんて、砂の一粒ほどでしかない。

手ですくった一粒の有り難みを心いくまで感じるように読みたい。

おうどんを茹でるのに、最後に火をとめて、蓋をして1分おく。

そうすると、おうどんがふっくら仕上がる。

そのふっくらを大切にするような読書をしていきたいな。