悠久の片隅

日々の記録

おごそかな渇き

目に汗が入るのがヤダ。

と、気づけば草むしり30分。

1つ2つ摘むつもりが、ついつい夢中になって

朝からシャワーを浴びることに。

外は晴れて強風だけど、

家の中は、東の窓から入る風が温度も湿度も風速もちょうどいい。

柔らかな風がレースのカーテンを揺らしている。

風薫る五月も今日が最後。

『薫陶(くんとう)』は

陶器を焼く前に、香を焚いて香りを染み込ませる工程のこと。

目には見えない心憎いひと手間。

そのように、自然に馴染んでいく意味で、

人も、その人のもつ五感の高さで自然と徳が身についていくのが理想という。

それが教育の原点だと。

自然と染み込んで、自ずから所作にあらわれるようになったら素敵だな~。

そんなことを思いながら、玄関にはラベンダーを差してみた。

ラベンダーのうすぼんやりな紫色が好き。もちろん薫りも。

ラベンダーの柔和な優しさが私と家の中に染み込みますように・・・


おごそかな渇き (新潮文庫)

おごそかな渇き (新潮文庫)

藤沢周平を読んで、

私はやっぱり時代小説が好きなのだと改めて思う。

藤沢周平山本周五郎池波正太郎司馬遼太郎吉川英治、あれこれ、あれこれ、

この辺は、一生かかっても読みきれないほど父の本棚に並んでいる。

それと、植物の本が多い。

ふむ・・・

カエルの子はオタマジャクシでもいずれカエルになるのか。


『おごそかな渇き』は短編集で、

最初の一作品、ほんの十数頁なので軽い気持ちで読んでみた。

まずい・・・

号泣・・・

声をあげて泣いた・・・

キッチンに立ちながらもまた思い出して泣けてくる。

『蕭々たる十三年』の言葉にたまらぬ思いがどーっと押し寄せて、

気づけば、これがこの物語のタイトルだったのかと。

タイトルを読まずに読み始めるのはいつものことだけど。

『蕭々十三年』

話としては単純で、どってことないんだろうけど、

白く霜をむすんでいる道の上に片膝をつき、手を伸ばして凍てた土のおもてを撫でた、

「・・・・・そちだったのか、(略)」

半九郎、忠善が共に膝まづいた凍てつく大地。

冬の何ものをも許さないしまった土の固さ、冷たさ、そこにじっと息を潜める者、

この『土』の使い方が絶品で泣ける・・・

本は読むものというより、感じるもの。

土の感触に泣ける作品は、そうは無い。


半九郎は息が止まるかと思った。高頬を打った拳は骨に徹するものだった、

しかしいま忠善の口を衝いて出る言葉は、彼の全身を微塵(みじん)に砕くかと思われた。

短い物語の中に、恐ろしいほど多くのことが凝縮されている。

全身を微塵に砕く・・・

まさにそんな物語。

この物語で思い出されるのは、明智の謀反。

秀吉は信長の草履を胸で温めた。

秀吉は可愛がられ、明智は疎んじられていく。

その結果、明智は謀反を起こし、信長は死においやられる。

気が利くなら、

気が利かない者の心にまで気を利かせるのが

気が利くもののつとめといえるのではないかと。


絶筆となった『おごそかな渇き』を含め、

山本周五郎の心を大切に読んでいきたいと思う。