人間の集団について
今年の全英はミュアフィールド。
タフなコースで、見ているにもドット疲れた(笑)
松山英樹は3日目、不可抗力と思える1ペナがあったものの、よく耐えたと思う。
どれだけ悔しかったことか。
前の組と1ホール以上空いていると警告をもらった時、
ウッズの組もやはり同じように警告を受けていた。
全体的にプレイを少し速めるように促す指示が大会本部から出たのかも。
その直後の松山の第一打が大きく曲がってボールが観客に当たり、深いラフへ。
観客に謝ってサインしてあげていた。
ボールは深いラフで、確か、構えてからクラブを再度替えていたような気がする。
それで時間かかったと言われればそうなのかもしれないけど、そこでスロープレーとして1打の罰則をとられてしまった。
この日松山が一緒に回ったのはジョンソンワグナー。
「これは悲劇だ、R&Aはもっときちんと規則を適用すべきだ」
「スコアリングエリアで5分くらい抗議をした。これには怒りを覚える」
と松山以上に抗議をしてくれたらしい。
プレーが始まる前に解説者が「ジョンソンワグナーは人のいい選手なので、松山には良いかもしれないですね」
と言ってたけど、その言葉どおりいい人だった(笑)
理不尽な目にあっても、ひとりでもわかってくれる人がいたら、どれだけ心強いか。
結局、松山は6位タイでフィニッシュ。あの1ペナがなければ3位タイ。
と、意味の無い妄想はおいといて、
これがアジア人に対する理不尽な仕打ちだとしても、それならそれで、絶対的な強さが必要なんだと思う。
柔道の判定などでもあるけれど、世界で通用させるには誰にも何も言わせないような絶対的な強さが求められるのだと思う。
松山はまだプロになって3ヶ月ほど?すごい選手が出てきたものです。
選挙は、みどりの風に入れた。
『市場原理主義から訣別し、競争よりも共生や共存、多国籍企業や大都市優先を優先する政治から、
国民ひとり一人の暮らしと地方を大事にする政治に変えなければならない』
という基本的な理念が気に入って応援してみた。
今回1議席もとれなかったけど、こういう気持ちを無にしてはいけないと思って一票を投じてきた。
投票率が低いようだけど、低いということは天下泰平なのかな。
それはそれでいっか。
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1996/09/18
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 29回
- この商品を含むブログ (22件) を見る
40年前、1974年に書かれた本。
『人間の集団について』~ベトナムから考える~
米国がなぜベトナムの内乱に介入し、あれほどまでに血狂いしたかということは、
元来世界政略というものは虚構であり、とくに防共という二十世紀の呪術から出たそれは、
政策決定者たちを大なり小なり魔術的にさせてしまうというふしぎさを理解しないかぎり理解できるものではない。
米国が1965年からわずか6年のあいだに、第二次世界大戦で米軍が使った火薬量の三倍半という砲爆弾をたたきこみ、
核兵器をのぞくあらゆる最新兵器をここに投入してなお敗北せざるをえなかったのは、
結局ベトナムをとらえたその世界戦略が現実となんの触れるところのない虚構にすぎなかったことをあらわす。
本来、人は支配されるものでも、するものでもないと思う。
戦前のベトナムの田舎では、米、農作物、魚、など、自分と家族が食べる分だけの
自給自足で充分な穏やかな暮らしをしていた。お金など必要なかった。
そこには支配も何も無い、昔の本来の人間の暮らしがあった。
ベトナム戦争により、すべて焼き払われ、皆都市部へ流出せざるおえなかった。
都市ではお金がないと暮らしていけない。
ベトナム人の意識も『世界で一番強いのはお金』に変わってしまった。
アメリカが介入したことで、市場原理が入り、人の心も変えてしまった。
アメリカは今も虚構にとり憑かれたかのように、過ちを繰り返しているように思える。
国が国の上に建つことも、人が人の上に立つことも、不幸の元凶になりうる。
すべて独立したもので、良くも悪くも、それぞれに任せるものに思う。
市場原理とは、誰のなんのためなのかな。