悠久の片隅

日々の記録

本屋さん

雨のあとは面白いほど草が伸びている。

雑草は雨が大好き。

朝は涼しかったけど、地面にへばり付いて草むしりをしているとあっという間に汗がしたたり落ちてくる。

「こんにちわー」と、知らないお兄さん。

(誰だ???)

「そこのアパートの○号室に越してきた○○と申します。挨拶遅くなりました。

前からお見かけしてたのですけど、怪しい若造が声をかけたら嫌かと思って声かけなかったんです。」と。

ほぉー。

慌てて首に巻いたタオルで汗をぬぐいながら挨拶を返した。

人懐こい子で、色々話しかけてきた。

まだ若いのに、数年前に脳梗塞になったという。

そう言われれば、多少言葉が聞きづらいかな?程度。言われなければわからない。

この前、セールスに来た女の子とまったく同じだ。

彼女は今でもかなりの量の薬は欠かせないらしいから、この子もそうなのかも。

ひとり暮らしなのかな。大丈夫なのかな。

「何かあったら、いつでも声かけてね。」と言うと、嬉しそうに「いいんですか」と。

いいに決まっているじゃない。

近くの他人をアテにしなさい(笑)

元々沖縄の人らしい。私はこういう子には、かなわない。

今はまだ仕事をしていなくて、今日も病院へ行くところだというけど、

世間でいう立派な人という物差しとは別のところに立派な人は存在しているように思う。

帰ってきた主人にこの話をすると、

「またひとり増えたの?(笑)」と。

いやいや、そういうわけではないんだけど、自分の周囲の心配な人はなるべく心をかけてあげたい。

放っておけない。

「もう民生委員やれば?」というから

そうじゃない。

私は何にも束縛されていないで暇人だから出来る。

余裕というのはありがたいことで、暇人にしか出来ないことがあるんだってば。


その暇人の私は、お気に入りの本屋さんへ。

この本屋さんは『売る立場でなく、読む立場で、伝えたい本を伝えたい。』

そんな思いが感じられる。

本の取り上げ方とか、ディスプレイの棚とか、他の書店とは何か違う。

久しぶりに行ったら模様替えがしてあって、ウロチョロしてしまった。

幼児の本の所には、書棚の前に小さな小さな椅子がいくつも置いてあって、

子どもたちが座って大人しく本を見ている。

見回したけど、親はそばに見当たらない。

それなのに、みんな大人しく一人で本に見入っている。

なんなんだ。この光景は。

覗くと、4歳くらいの子はピーターパンらしきものを読んでいる。

絵が驚くほど美しい絵本で、

読んでいるといっても字は読めないだろうから、絵を見ているのだと思うけど、

1頁1頁時間をかけて見入っている。

この子、完全に引き込まれちゃっている。

どの子もすごい集中力。しゃべってる子なんてひとりもいない。

他がまるっきり見えていない。

日本てすごい国だなー。

無防備な安全性というか、

売り物を椅子を置いてゆっくり選ばせる寛容性というか、

子どもの本に対する集中力というか、

こういうことが夏休みの普通の光景であることに感動してしまった。

こんな国、世界中に他にないでしょう。

親や店員さんが特に目を光らせてるわけでもなく、

それでも気づかないとこで気だけは配っているのかもしれないけど。

私はまず壁に貼ってある新聞の書評から目を通す。

いくつかの新聞の赤丸で囲ってある記事を次々読んで、そこに置いてあるその本を手にとって、

本当は欲しいものばかりだけど、大きい本は高いし、置き場所も考えると、なかなか買うには至らない。

でも眺めているだけでワクワクする。

ワクワクしすぎて、すぐトイレに行きたくなってしまうから困る。

そのあと、新書、文庫と、ゆっくり見て回るのだけど、2時間くらいはいつもいるんじゃないかな。

なので帰る頃には頭も足もけっこう疲れてます(笑)

本も好きだけど、本屋さんが好き。

選んで選んで買ったのは2冊。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

んー、新版の方を買ってしまったけど、旧版の方のが良かったかな。

8月になると、戦争ものの書物がいろいろ並ぶけど、この本は一年中ディスプレイされてあって、

いつか、いつか、と思いつつなかなか買えずに、ようやく手にできた。

やさしい古典案内 (角川選書)

やさしい古典案内 (角川選書)

欲しい本がいっぱいあって、その中から迷って迷って買ってみた。

選べる喜び、買える喜び、読める喜び。

本が好きだと、これだけで何ものにも変えられないほど心満たされる。

それでも、

今日見た子どもたちほどは、本の中には入り込めない。

主人公と一緒に冒険したり、魔法使いになったりしているんだろうなぁ。

ワクワクドキドキ、すべて信じているってことでしょう。

子どもにはかないません(笑)