悠久の片隅

日々の記録

猿の惑星

チカレタ、チカレタ・・・

心身共にバテてた。

気づけば、こんな田舎街でも駅前はクリスマスのイルミネーション。

日々の余韻を味わうヒマもなく、追い立てられるように思考は先へ先へ。

そんな時、

私の枯れた箱庭ではキボウシが花を咲かせようと、芽を伸ばしている。

なんで今頃?

どこにでもいるね、

ちょっとズレてる子(笑)

忙しなくしていないと地球から落っこちそうな今の時代、

キボウシのマイペースさに、ホっとさせられる。

周囲に感化されず、この子はこの子のペースで生きている。

ここ4日ばかり、頭痛がやまず、パソコンや携帯はほとんど避けていた。

元気な時には気づかないけど、

身体が弱ると、目から脳への負担をものすごく感じる。気分が悪くなってしまう。

今日は元気になったので、

PLANET OF THE APES(猿の惑星)をみた。

ティム・バートンのやつ。

ややこしかったりもするけど、

結局、ループなんだよね。

猿でも人間でも、多少姿かたちが違うというだけで、やっていることは同じ。

世界は権力をもったものが、支配をする。

ギリシャ時代は、力と力の勝負。肉体の強さが世界を支配する時代。

その後知恵ある者が、肉体を制圧した。

すべての生き物は、生存競争に勝たなければ、生きてはゆけない。

そうなると、

肉体で勝てない、知恵でも勝てない。そんな弱者は武器をもつ。

勉強だって、運動だって、基本のとこには、

生き抜くため、他者に勝つための手段であることは、否めない。

今だって、世界の飢餓人口は8億人。

食料を作り出すには資源を必要とする。

限りある資源の争奪が生死をわけるわけで、話し合いで円満解決するとは、

とてもではないけど思えない。

そんな弱肉強食の社会は、強い者にとっては生きやすくても、弱者は現世が地獄。

地獄に仏。

宗教や倫理は、現世の弱肉強食地獄における仏の役割なのだと思う。

仏がいるかいないかは問題でなく、人間には希望が必要で、

弱者にとってこの社会は地獄で、せめて死んだら天国へ。

あまりに消極的な希望です。

でもそんな希望(祈り)が必要なほど、この社会を生き抜くのは厳しい。

祈りが届くかどうかはしらないけど、祈るほかないから祈る。

力をもったものが、この世界を支配する。

猿が支配するのも、人間が支配するのも、変わらない。

人間が支配すれば猿が檻に入れられ、猿が支配すれば人間が檻に入れられる。

支配する者、される者のループがどの星においても行われている。

力、知恵、武器。

いつの世もそれに振り回されている。

そしてその傾向は、やはりまだまだ強くなっているんじゃないかな。

地球から振り落とされないように、必死で生きてゆかなければならないのは、

本当にしんどいことです。

映画のラストには愕然とさせられるけど、

焼き直しなので、自由の女神の時ほどの衝撃は無い。

あのインパクトは、ホント私まで崩れ落ちてゆく感じがしたもの。

猿の惑星は面白い。最初から全部みたいなぁ。