悠久の片隅

日々の記録

蝶の舌

蝶の舌 [DVD]

蝶の舌 [DVD]

ヨーロッパの作品は、厳しい。

日本で、こうゆうやりきれないものをやりきれないままに撮る映画監督って誰なんだろう。

鑑賞後、どうにもならない気持ちをどうにもできないまま、

それがスペインの人の心に宿る悲しみと感じるほかない。

時代背景は、スペイン内戦直前。

スペイン片田舎の穏やかな村にも、内戦の不穏な空気は流れ込んでくる。

内戦は、ファシズム(厳格なキリスト教国家主義)対共和党(反キリスト、自由主義

という図式にみえる。

昨日まで仲良くしていた隣人同士がイデオロギーの違いで敵味方となり、虐殺行為までいくのは、

日本ではなかなか想像しづらい。

それでも、田舎ほどナショナリズムが強く、改革を嫌うのは世界中どこも同じなのではないかな。

子供たち、父兄、村の誰からも好かれていたグレゴリオ先生。

でも国がファシムズムに傾いていき、

グレゴリオ先生が自由主義であることで連行されると、

人々は手のひらを返したかのように罵声を浴びせかけ、慕っていた子供たちも先生に石を投げつける。

その実「裏切り者!」と罵声を浴びせている人の中にも共和党員はいて、裏切り者そのものでもある。

共和党員とわかれば、殺される。

公安から疑われないためには、どんなにみっともなくても偽り、装うしかない。

ラストシーンはあまりに酷。

最初から最後まで子供の目を通したリアリズムで貫ぬかれている。

冒頭は、文部省推奨といえるような美しいセリフ、美しい音楽、美しい映像で始まる。

あまりの心地よさに「映画はこうあるべき」などと思っていると、一転、

セックスの描写にも遠慮がない。

ここまで描くと子どもには見せられないと日本の親は言いそうです。

少年が成長していく過程に必ず起きるセックスへの好奇心、

大人が向き合いたくないようなえげつない部分への追求にも手を緩めない。

そしてラスト、

子どもからの視線に、大人の感傷などいらない。

監督(大人)の一筋の感傷をも省いて、あるがままを描ききった。

子どもから見た社会、大人の姿、

子どもはすべてを把握しているわけではない。そんな子どもの目のままに。

モンチョの素直な目、素直な心だけが、事実を事実として映し出す。

だから「アテナ」も「蝶の舌」も同列であり、

先生の何が悪いかなんて知らない。先生の運命も知らない。

だから泣くわけでもなく、あの表情になる。

苦痛に顔を歪め、震えながら「裏切り者」と叫ばざるおえない父親、

先生に石を投げ、無表情で佇むモンチョ、共に名演です。

映画はグレゴリオ先生が連行されていく場面で終わる。

スペイン内戦は凄惨を極め、そこからドイツナチス台頭、第二次世界大戦へと繋がっていく。

どこの国にもその国の悲しい歴史がある。

いつの時代も素朴さのすぐ近くに残酷さがある。

蝶の舌』とは、蝶の舌にはうずまき状の長い舌がある。

グレゴリオ先生のその話しに、子供は好奇心いっぱいの目になる。

かと思うと、子どもの興味はもう次に移っている。

子どもの感性の豊かさと、豊かであるが故にきまぐれだったり。

んー以前、

数学博士の岡潔だったかな。

いや違うかも。誰だったか忘れたけど、

「僕は蝶の匂いが好きです」と書いてあった。

蝶の匂い?

蝶の匂い・・・

あ~

蝶の匂いになんて関心をもったことなかったけど、

そうそう。わかる。蝶の匂い。

鼻腔の奥で、遠い昔のその匂いを思い出した。

子どもの頃はなんでも不思議で、なんでも新鮮だったのに、

大人になると知識での蝶は知っていても、本質そのものには目を向けない。

日々必要なものだけを見てる。

大人は情けないです。