悠久の片隅

日々の記録

崇拝

12月は他の月の倍速で進むので

のんきにビデオ見たり、本読んだり、ブログ書いている場合でもないのでしょうけど、

猿の惑星が面白くて次々借りている。

子どもの頃見たときと印象が違う。

本も映画も、感じ方は自分の内面(経験)が大きくかかわっていて、

あまり面白くないと感じるものは、自分の内面と合っていなくて、無理に読んだり見たりしても

何も感じないものは感じないだろうし、時期がくれば合うのかもしれないし。

続・猿の惑星も昔見たときには、あの未来人のメークが怖すぎて引いたけど、

今見直すと、

あれ(未来の地球人)は、核戦争の果てで、

地上は死の灰化し、その為に人類は地下で生息し、

皆、皮膚が剥がれたような姿になっているのは、放射能によるもので、

テレパシーが使えるようになったのは、遺伝子異常か何かでしょうか。

不気味と感じていたのは、ケロイド化したえぐいリアリティーで、人間の犯した罪の反映だったんだと感じる。

『続』とか『新』とか、つけているけど、

原題をみると、

続・猿の惑星が Beneath the Planet of the Apes

新・猿の惑星が Escape from the Planet of the Apes

猿の惑星の物語の大きなポイントは、

「神は自分の姿に似せて 人間を創造した」という聖書でも根幹の部分、そしてキリスト像への崇拝を

猿の惑星では「神は自分の姿に似せて 猿を創造した」として、猿の像を崇め、

続・猿の惑星では、『核ミサイル』を神殿に祀り、祈りを捧げ、賛美歌まで歌ってる。

猿の惑星は、その作品ごとに何を偶像崇拝しているか、象徴するものが出てくる。

結局、人間は人間の都合で(自分に似せて)神を創造したにすぎないと、言いたいのでしょう。

人間は、自分たちを中心において考え、行動している。

でもそれは人間だけでなく、どの生物が主体であっても同じ。猿もしかり。

だいたい、人間も猿も元をただしていけば同じなのだから、変わりがあるはずない。

理解し得ない同士が、共存もすみわけも出来ず、戦う。そのくり返し。

確かに、

人類は未だに核兵器を手放せないでいる。

この映画はデフォルメしてあるだけで、

どの国も核兵器を祭壇に祀っているようなもの。

手放せないと思っているのは幻想で、本当はなんだって手放せるのにね。

困ったことに人は崇拝するものに、捕らわれてしまうのです。

人を愛すれば、愛にだって縛られる。

人は核を操作しているようで、結局は核に翻弄されている。

この作品を作った頃は、長引くベトナム戦争で、反戦運動が高まっていた時代。

だから、猿の惑星でありながら反戦が色濃く出ている。

濃すぎて、SFとしての夢や希望みたいなものが膨らんでこないからSF作品としてはどうなの?

ってとこなのだけど。

地上に住む猿軍団と地下に住む未来人が戦い、未来になんの希望もみえなくなったところで、

主人公が核爆弾を作動させ、地球が吹っ飛んでおしまい・・・・・って、

終わり方に、どこにも救いがない。

現実に今はもう、核兵器自体は現実的な武器でないことは、ほとんどの国がわかっている。

それでも手放せないでいる。やはり映画のとおり、お守りなのでしょう。

猿の惑星は、評判がよろしくないけど、

確かに単発で見たら、単純すぎて面白みに欠けると思う。

でも、私はこれは猿の惑星シリーズで大切なパートとなっているというか、

後付けで、なっていくものに思う。

1作目は好きに描けても、2作品目というのは、1に方向性をつける大事な役どころになったのでは?と思う。

そういえば、手塚治虫火の鳥未来編でも、確か西暦3000年頃、核戦争で人類は滅亡した気がする。

猿の惑星も西暦3000年、31世紀になるのか・・・

時空を行ったり来たりするところも、猿の惑星火の鳥は似てる。

猿の惑星は、SFとして充分面白い。

猿の惑星で、地球がふっとぶ直前にコーネリアスとジーラと博士は、ロケットで脱出に成功していた。

そして過去の地球に到着する。

こういうタイムパラドックスは、私の頭ではややっこしくて理解不能。

未来からきたチンパンジー(コーネリアスとジーラ)から、

未来の地球では猿が人間を支配していることを聞き、

科学者は、未来を変えるため、コーネリアスとジーラの殺害を企てる。

コーネリアスとジーラは、賢いし、愛くるしい。そしてすこぶる平和的。

それなのに殺そうとするのは、

未来に対する不安でしょうね。

不安というのは、心で感じるもので形になっていないだけに、自分自身で平穏へと転換させることがとても難しい。

実体あるものを変える方が、楽なのだと思う。

恋愛でもそう。

相手に対するヤキモキを本当は自分の心の方でうまくコントロール出来ればいいのだけど、

それが出来ないから、相手をコントロールしようとしてしまう。

科学者は自分内部の不安をコントロール出来ないから、実体としてのチンパンジーの方を抹殺することで、

安心を得ようとする。その方が容易ですからね。

私の大好きなコーネリアスとジーラは人間に殺されてしまった。

そしていよいよシーザーが生まれた。


なんだか文がしっちゃかめっちゃかです。時系列もぐちゃちゃ。

自分ではわかってるけど(笑)これでは人には通じない。

でも、眠くなってしまったので、これでおしまい。

猿の惑星はあと2本。

本も映画も私はなんでも感動してしまう。

相当評価の悪いものでも感動してしまう。

多分、作品のどこか1箇所でも感心したり得るものがあったら、私にとっては感動の名作になってしまうのです。