悠久の片隅

日々の記録

貧困

少しでもお天気の良いうちに。

と、昨日用事をしながら、カーテンを少し洗って、網戸を洗い、窓ふきをした。

忙しかったけど、昨日やっておいて良かった。

今日は寒さが一段と増して、今夜は雨から雪になるらしい。

『出来るうちに出来ることを。』

年明けと言わず、今年の年末から心がけることにした。

『嫌やなことからしよう。』って。

やりたくないことから逃げて安易に生きる人生を過ごしてきてしまった。

これからは少し見直してみる。

やりたくなくて先延ばしにしたり、見ないふりをしていることから、手をつけて、

なるべく気がかりを減らすようしようと思う。

やりたくないことを、とっととやる忍耐をつけることで、

やりたくないことがやれることに変わり、やれば出来ること。になるんじゃないかと。

ネガティブなんだか、ポジティブなんだかわからないけど(笑)

とにかく『出来るうち(命あるうち)にやりたくないことをやろう。』な感じ。

生きていくのに、耐えること、そしてクリアーしていくこと、それらを喜びとしてゆきたい。

外は雨の音がしている。

今夜は冷えます。

シリア近郊では、何十年に1度の猛烈な寒波がきているという。

シリア難民たちは、テントの中でろくな暖も無いまま、過ごしている。

その辺に石油なんて、売るほどあるじゃないか。と思ってしまうのだけど、

難民キャンプには届かないらしい。

難民は「もう5ヶ月間、野菜なんて見ていない。」と言っていた。

レバノンのお役人さんが「薪は配給されたでしょ?」と言うと、

「薪なんて食べられない!」と反論する。

レバノンだって、パレスチナ難民も抱えている。今じゃ国の4人に1人が難民状態。

助けたくても、助けられないでしょ。

この周辺国はどこもこんなで共倒れになってしまう。

そんな過酷なテント生活の中で、子どもたち5、6人が1枚の毛布に包まってニコニコ笑っている。

シリアの子供たちって、不思議なほどいつも笑顔。

この状態で何がそんなに楽しいんだ?と思うのだけどカメラの前で屈託ない笑顔をいつも見せている。

子どもって、すごすぎです。

見るものすべて受け入れるべきものでしょう。

大人は「信じられない!」と言うけど、子どもには信じられないものなどない。

魔法使いだって信じられる。そのすごさは、大人にはたどり着けない領域です。

そして、

レバノンから見るシリアの風景のあまりの神々しさに言葉を失う。

雪に覆われた山々の美しいこと。

テレビでは破壊された瓦礫の町しか目にしないけど、

この美しさこそ本当のシリアなのだと、世界中から愛されるべき国であると理解されて欲しい。

今日は、BSで、リーマンショック時のアメリカのドキュメンタリーを見ていて、

あまりの貧困さにこれまためまいがしそうです。

ポートランドでは、6人に1人が貧困層となった。

大学も出て、資格ももっている、そんな人たちが次々解雇され次の職もない。

トイレ掃除だってなんだってやりたいと言うが、職が無い。

ダウン症の子どもをもつ父親は「50歳にもなって電気代を親に払ってもらうなんて、情けないです」

と涙をにじませていた。

ある母親はお昼を抜いて子供たちに食べさせていたが

「私は食べなくていいからお母さんが食べて欲しい」と小学生くらいの女の子が泣いて頼んでいる。

「お母さんが大好きなの。」と。

またある母親は、非営利レストランに夜行くと、お店はもうしまっていた。

今夜子どもに食べさせることが出来ないことで母親は半狂乱のようになる。

息子は「お母さん、僕は食べなくたって大丈夫だよ。」と言うが、母親は

「あなたに夕飯を食べさせなければいけない。」と、気が狂ったように言い続ける。

子どもにとって空腹もかわいそうだけど、自分を食べさせる為にと母親が嘆き悲しむ姿を見る方がつらい。

この子は1人で2倍の悲しみを背負ってしまっている。

「食べられないことなんてたいしたことじゃない」と母親を必死になだめる男の子があまりにも悲しかった。

アメリカの場合、親の管理責任が非常に厳しい。

たとえば、スーパーの駐車場で、子どもを車に残していたら、それだけで捕まってしまう。

だから、食事を1回でも与えないことは、虐待と認識してしまうのだと思う。

電気代が払えない家でも、電気を止めたことで子どもの体調が不良になったら、その旨を伝えれば電気を再開してもらえる。

ただし、子供への養育不適合として管理局が子どもを連れて行ってしまうことがある。

だから、そんなこと言えない。

そういうところが、アメリカはかなり厳しい。

親が「大丈夫」と言ったところで、管理局はまったく聞く耳をもたない。

アメリカでは、子供の保護が優先される。

それなら、シリアの子どもも保護してくれよと言いたい。

人間多少は食べなくても大丈夫なのです。

その程度でイコール虐待イコール子どもを奪われる。と考えてしまうアメリカ社会の在り方の方が問題です。

アメリカはボランティアの国。

今まで寄付をする方の立場だったのが、突然面倒を見てもらう方になった。

自立こそ国民としての誇りであり、福祉のお世話になるのは、いたたまれないほど恥ずかしい。

それでも、食糧配給など支援を受けられるのは3人家族で収入が月6万円以下の所帯のみ。

あまりに脆弱な社会保障です。

アメリカは国民保険も無い。

個人で保険加入出来なくなった家庭では、子どもの重い病気治療に500万円近い請求書が届いた。

これがアメリカの資本主義かと、1年間の軍事費が50兆円の国かと、キリスト様の国かと、

アメリカは実力主義の国で、人間は自分の力で生きていくことが当然とされている。

レールに乗っている人はいいけど、外れた人間は、とことん外れていってしまう。

大学出の中産階級が次々そのような状態に陥った。クビを切られ、次の職が無い。

企業は、儲けるにはなるべく合理的に人員削減、

国には最低限を保障をするシステムも整っていない。

アメリカには弁護士もセラピストも星の数ほどいる。

当たり前だ。こんな社会でストレスは溜まり、トラブルは多く、皆病んでしまう。

富裕層が富むことで国が底上げされるなんて、論理のどこかに欠陥があるように思うのだけど。

この前見たアメリカのニュースでは、今はクリスマス商戦真っ最中。

今年は相当景気が良さそうで、GMも雇用を増やすと言っているようなので、

それはそれで私も嬉しいのだけど、複雑な思いはある。

今、世界地図で世界を眺める本を読んでいる。

アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、中東、アフリカ、と読んできて、今アジア、パキスタンの箇所を読んでいる。

(地図で)世界を一周すると、あまりに様々で、頭がパンクしそうです。

1つ言えることは、

1つの問題の解決が、また1つの新たな問題を生むということ。

でも、

世界には悲しみが溢れているけど、愛もいっぱい溢れている。

環境の厳しいところほど、喜びは何倍にもなって返ってくるようにみえる。

日本人は、目の前に転がっている喜びが見えないこともあると思う。

私もこんな寒い夜に家があって、食べるものがあって、お風呂にも入れて・・・

シリアの人を思い祈らずにはいられない。困難に耐える力をアラーの神様がどうか授けてくれますようにと。