悠久の片隅

日々の記録

愛ある場所

仕事始めて2ヶ月がたった

私よりも新人さんが・・・気付けば6人

みんながんばっている。

辞める人、新しく入る人が入り乱れた2ヶ月間だったけど、これで落ち着くんじゃないかな。

仕事はまだまだ憶えなければいけないことが多くて、

それには経験(時間)を重ねてゆくしかない。

大変さもすべて経験値になってゆく。

私がいてくれて、助かった・・・と言ってもらえて、

私が誰かの役に立てている、

それは仕事とか関係なく、

仕事していなかった今までだって近所のお年寄りや、叔母や、義母の手助けをしていた時も、

『私が居ることで、助かる』そう言ってもらえるから、

私は出来るだけのことをしたいと思ってきた。

父が死んだあと、私は自分の存在意義がまったくわからなくなり途方にくれてしまった。

自分が面倒をみていたつもりだったけど、

実は、頼られていることで、自分が支えられていたこと、

自分の存在意義(使命)を与えてもらっていたことを、父の死後に初めて気付かされた。

仕事のスタンスとかでなく、

『他の誰でもなく、私を必要としてくれる人のところ』に自分の身を置けることは有難く、

人が人を『使う』でなく、『助け合う』感覚は、仕事も仕事以外でも、変わらない。

私がいることで、誰かの、何かの、助けになるなら、私は嬉しく思う。

結局『愛』なのだと思う。

人が人を思う気持ち。

愛を感じるところはいい。人は誰でも愛されたいのだから。

今の職場は規定では試用期間2ヶ月で時給が上がるそうだけど、

私は1ヶ月で上げてもらえた。がんばってくれているからと。

時給で働いているのだから、時給で応えてくれることは最大の愛と思うし、

そうなると私もそれ以上の愛で応えたい。

他人同士が頼り、頼られ、それでもって、ギリギリの所を乗り越えて。

仕事をしていれば、いや仕事に限らず、

日々の生活に不平不満なんてどこにでも転がっていて、誰もが抱えている。

通常は自分内部に抑え込んでいる悲しさや不満の感情が溢れてしまう時もある。

今だって出来ないことの方が多くて、

ドヤされたり、からかわれたり。毎日その連続。

それでも、かばってもらえることの方が何倍も多くて、だからひと一倍頑張らなければ。と思う。

とにかく身体が資本。それにプライスレスの優しさ。

私が提供できるものなんてホントそれしかない。

今日も仕事だー。

大変だけど、愛があるうちは頑張れる。けっこう楽しくやってます