悠久の片隅

日々の記録

この世の偽善

昨日、今日、お買い物にも出ず、とにかく寝て身体を休めています。

いっぱい寝た

この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人/金 美齢

¥1,080
Amazon.co.jp

昨日届いたこの本、もう読んでしまった。

『内容紹介』

日本人は長年「もの分かりのいい人」を演じてきた。

弱者保護や被害者救済など一見、弱い者の側に立つふりをし、政治家は票欲しさに「ばらまき」政策を行なっている。

その結果、わが国は過去最多の214万人を超える生活保護者を擁する「よい国」になった(2012年)。

しかし、彼らは本当に自立できない人たちなのか。いまの日本は本当に職がないのか。そう問うことは禁じられている。

ボランティアについても、人の世は、一ついいことをしようと思うと、必ず不都合と苦悩が出てくる。

人生にも「あれか、これか」という形の歯切れのいい選択はない。

メディアは社会や国家の批判はしても、本質的につきまとう人生の不都合や不自由を見せない。

これが「日本の偽善」である。

「権利」という言葉は、誰かのため、何かのために自分が我慢し、犠牲になることがある、という想像力を失わせてしまう。

一所懸命働いて税金を納める、まずそこから始めるべきではないか。

2人のおばさん(曽野綾子金美齢)が、今の幼稚化した日本社会を正面からぶった切っています。

この世で、人間が他者に要求してはいけないものが三つあります。

「自分を尊敬しろ」と言うこと、

「人権を要求する」こと、

「自分に謝れ」と他人に言うこと、この三つです。

これら三つは要求した瞬間から、相手に侮蔑の念を抱かせるものです。

尊敬に値する人は決して「自分を尊敬しろ」とは言わないものですし、

「人権」は要求して与えられるものではない。

人権を要求して得るものは、金か、制度だけです。

しかし愛は違う。私たちは温かく包み込むような愛を贈るべきだし、愛を与え合う存在になるべきだと思っています。

「自分に謝れ」というのも最低の行為です。

謝れと言わなければ謝らない人に謝罪させる方法は、法以外にない。

口先だけでいいのなら、人はすぐ謝ります。

しかし同時に軽悔の念が発生する。

個人の関係でも国際関係でも、通常「謝れ」という時は「金を出せ」ということですが、

日本人にはそれがなかなかわからないですね。