悠久の片隅

日々の記録

理研

「ジィー」とまったく抑揚の無いニイニイゼミの鳴き声が暑苦しくはあるけれど、

ここ数日酷暑もひとやすみ、過ごしやすい。

このところ良い本を読めていて、気持ちも昂ぶる。

岡潔の『春風夏雨』にこんなことが書いてあった。

彼(中谷宇吉郎)はこう語った。

人工雪は僕や花島君(高弟)らが作るとたいていうまくできるのだが、他の人には作れない。

僕たちでも必ずできるとは限らない。

(中略)

そんなふうだから、日本の物理学者たちは、そんなものは物理実験ではない、

だから中谷のやっていることは物理学ではないといって、どうしても僕のしていることを学問とは認めない。

それで僕も少々閉口している。

(中略)

翌日私は文化勲章をいただくために参内した。そして吉川英治さんに会った。

それで私は中谷さんが、「少々閉口している」話をした。

そうすると吉川さんは大変面白がって、こういう話をして下さった。

日本には昔はその人でなければできないということを持っている人が多かった。

ニ、三例を挙げると、熊本のある中学の校長がよく生徒を相した。

それで東郷さんが息子(彪)さんを連れてわざわざ見てもらいに行くと、

校長はしばらくじっと息子さんの顔を見てずばりといった。

「閣下の息子さんじゃが、この人は百姓がよいのう。」

東郷さんは早速頼んで、この息子さんを新宿御苑の菊作りにしてもらった。

御苑の菊はこの人によって作り出されたものだということである。

今の理研(STAP論文問題)を併せて考えると、とても悲しく思ってしまう。

日本で唯一の自然科学研究所として、寺田寅彦中谷宇吉郎湯川秀樹など多くの科学者を輩出、

世界的にも高い評価と期待をされている機関で、こんな悲しいことが起こってしまった。

科学者は少なからず常にこういう問題を抱えながら、自分の信じる道を歩んでいるのだと思う。

STAP論文に不正や甘さがあったのか、私にはまったくあずかり知らぬことだけど、

科学者として欠かせないこととして、やはり『心』があると思う。

「雪は天から送られた手紙である」という中谷宇吉郎

「数学は情緒である」という岡潔

情緒抜きにモノゴト考えられないし、情緒抜きでモノゴトを成すと、とんでもない悲劇が起こる。

心を養う大切な時期(青年期)に受験勉強に重きをおき、本の一冊も読まないと、

育つべき情緒も育たない。

そこに警鐘をならす藤原正彦

今『日本人の矜持』(対談)という本を読んでいるけど、痛快、心地よい。

書店に行く間がないので、アマゾンで本を6冊注文した。

待ち遠しいなー。