悠久の片隅

日々の記録

東京裁判

しゃぶしゃぶから予定変更。

仕事帰りに3人でファミレスに行った。

もうバテバテで、休みの日にご飯食べ出かける力は残ってないけど、

仕事帰りならお腹も空いているし、話もしたいしね。

朝4時からファミレスで3人で6000円も食べた。

食べなきゃ体力もたないし、

仕事ハード過ぎて、汗の量も半端なく、1日1㎏は落ちるんじゃないかと思われる

食べてはいるけど、おっつかない。

もう足の痛みも限界かな。

足の指が痛いのです。

仕事中に履くサンダルも5足以上変えてはみたけど、サンダルの問題でもないみたい。

今日は目が覚めても30分くらい起きられなかった。

足痛い・・・

足首に錘ついてるよね・・・

足首から先がどうにもなんない。なんでかな。

足引きずってお風呂に入って、そうすると回復するんだけど、

毎回毎回、起きた時の足のダルさ不快感どうにかなんないかな。

いっぱい食べて、ゲラゲラ笑って、帰ってきたのは7時。

お洗濯して12時までは寝てたけどそれでも4時間しか寝てない。

ネムイ。。。

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悪を糾弾するのは簡単なこと。

でも、

そうではなくて、

私は人間の性というものを知りたいのだ。

戦争とは

人間のひとつの姿。

あるいは本性か。

日本という国の美しさ、日本人の高潔さを感じるだけに、

何が人々の心を突き動かし、どんな思いで戦争へと進んでしまったのか。

水が高い所から低い所に落ちるように、

時勢が世界を戦争へと導いてしまうこともあるのだろうか。

明治維新で自信とはずみをつけた日本。

自信と期待をもって人は生きるが、

うまくいってる時ほど怖いことはない。自分には見えない自分の姿というのがあるのかもしれない。

何よりも愛する祖国を守りたい思い・・・

何より自分個人を尊く思うこと・・・

その両者の思いは、天と地、生と死を分けるほどの違いがあるのだろうけど、

優劣で語りたくないし、

一方で、人は生きるためにはなんでもする。

東京裁判」は、敗戦の翌年の一月、

極東国際軍事裁判所条例」をマッカーサーが定めた上で行われた。

条例で「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」で裁くことが決められたが、

戦争中、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」という概念は国際的に存在しなかった。

後になってから「あれは罪になる」という法律を作って裁くことは、「罪刑法定主義

まり「存在していた法律に違反した者が裁かれる」という原則に反する事後裁判ではないか。

東京裁判の是非が靖国参拝の是非に繋がっていくのだと思うけど、

ルールとか概念とかでいうと、どこまでいっても答えは1つではないと思うし、

負けたから戦犯で、勝ってアジアを帝国から解放すれば英雄だったりするのかな。

東京裁判は、是非より、

誰からみたら・・・

どこからみたら・・・

それらすべてを引きずって繁栄も衰退もありのこうなってる今。

(それは勝者アメリカにも言えると思うけど)

その今思うこと。

日本は今、何を求めて生きているのかな。

豊かさは、人に不幸をもたらすのかもしれないと。そんなふうにも感じる。