「星の王子さま」を哲学する
- 東の空は雲におおわれ、
- というより、ゆうべは星ひとつ見えない空で、皆既月食は見えなかった。
- 次は14年後・・・?
- それを聞いて、私生きているのかな?と最初に頭をよぎった。
- 人生も、ずいぶん残り少なくなってきたなあ・・・
- 「星の王子さま」を哲学する/甲田 純生
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星の王子様と、銀河鉄道の夜って、似ている。
なぞがいっぱいで、へんてこな人たちがへんてこに会話して、
そのすべてを肯定して物語は進んでいく。
随所に散りばめられている宝石と、全編に漂う深い寂寥感。
人生そのものかなって。
誰もが避けることが出来ない死。
死を知っている人間は、
強くなければ生きられない。
でも・・・
人間そんなに強くない。賢くも無い。
醜さも、浅ましさも、人間の真実。
儚く、哀れな存在。
生きること1つ1つに理由付けして歩くのも、
そうして確認しないと生きていけない弱さのあらわれ。
ひとりが寂しくて、
かといってふたりも寂しくて、
それでもやっぱり、人を愛し、自分を委ね、
そのために傷つき、
それでも尚、人を愛してやまない・・・
ところで、
星の王子さまを哲学しちゃうって、どうなのかな?
このぽわわわ~んとした物語は、ぽわわわ~んなまま一緒に旅に出ればいいじゃないのかな。
これを解明してどうする・・・
って感じもしたけど、
種明かしではないと筆者はいう。
3本のバオバブは、
日独伊三国同盟を意味している。という諸説もあるが、
この本の著者は、
確かに、サンテグジュペリがそのことを念頭において書いたとしても、
優れた作品というのは作者の意図を越えて、私たちの心に迫るものをもっているもので、
三国同盟という固定されたものでなく、バオバブの木は(心の中の災いの因子)という意味の方向性、
そういう道筋の1つを示すものだと。
そんなに深読みしなくても、感じる世界だとは思うけど。
なるほど、すべて、特定されないものばかりだものね。
だからよくわからないけど、
自分だけよくわかった気になったりもするんだろうな(笑)
そんな物語を少しづつ紐解いていく・・・
それにしても、
<資本>という運動体は、運動を始めると、ひたすら走り続けるしかないのです。
止まったら倒れてしまうコマのようなものです。
しかもこのコマは、ふつうのコマと違い、だんだんスピードが遅くなっていくのではなく、
逆に速くなっていくのです。
なぜなら、同じスピードでまわっていたら、儲けが増えないからです。
点燈夫の話だね。
資本主義の原理わからないけど、
もともと人間のために定められた規則や命令も、それがいったん定められると、
<人間のため>という目的を離れ、逆に人間を縛り始める・・・
人間から生まれたものは、神も、資本主義も、民主主義も、愛も・・・なにもかもが、
人間に歯向かってくる。このことを<疎外>という。
それを普遍的な形で示したのがヘーゲルで、
ヘーゲルの概念をうけて、資本主義社会における人間疎外の状況を分析したのがマルクスです。
そういう難しいことはわからないけど、
お金に支配されたくないから、お金が欲しい・・・のだと思う。
すごく矛盾な感じするけどね。
経済とか、全然興味がなくて、
家にも植物とか歴史の本は腐るほどあっても、その手の本は1冊もなかった。
経済観念という言葉はうちに無かったんだろうなあ。
父も私も、その辺がどっかズレてた気がする・・・
<資本>は、いったん運動を始めるや、利潤を上げるという自己目的に向かって邁進し、
人間をそのための道具にしていきます。
人間の社会を豊かにするはずの資本主義社会が人間を疎外し、
人間をかえって貧しくしていくのです。
資本主義社会では、人間の生理的欲求すら節約の対象になります。
食事の時間、休憩時間、睡眠時間・・・
これらは<資本>にとっては、無駄な時間以外の何ものでもないのです。
二十四時間休むことなく労働力を供給できる人間。これこそが<資本>にとっての
理想的な労働者の姿なのです。
こうして、物質的には豊かになりながらも、人間は精神的にも肉体的にも蝕まれていきます。
そして人間は次第に、自分が何のために働いているのか、何を求めているのかも、
わからなくなっていくのです。
ゲゲゲ・・・
星の王子さまから、こんな話に(笑)
でも面白いけど。
今、社会は経済を中心に価値観が出来てしまっている。
恐ろしや~~~
稼げない者は不幸ですか?
世界にはいろんな価値感があっていいはずなのに・・・
世界には、ちっとも進歩しない村もあって、住民もそのことをなんとも思っていない・・・
そんな場所もあるのにね。
人間の価値感を勝ち組とか負け組とかであらわすとか、
なぜ経済が社会の基準なんだろう。
せめて心だけは貧しくならないように。
そのためには想像力が必要で、
人と人とのコミニュケーションも想像力なくして成立しない。
想像力が乏しいと、言葉も乏しくなり、思考も貧弱になる。
思考がストップしてしまうと、
受容ができなくなり、生きづらい。
だから馬鹿は馬鹿なりに一生懸命考えるのだ。
考えることにも訓練が必要で、
思考の枝葉をぐんぐん伸ばせるように、身体や心ほぐして、
今、手の届くその先まで伸ばすのです。
なかなかね、それが口で言うほど簡単じゃないんだけどなー。
『砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ。』
これってどういうこと?と、深読みすると、どんどん蟻地獄にはまっていきそうだけど、
謎があることが魅力的なのだ。
目に見えるものにこだわると、その奥にある大切なものがみえない。
想像力を働かせば、
きっと見える素敵なもの♪