悠久の片隅

日々の記録

そうだったのか中国

そうだったのか!中国 (集英社文庫)/池上 彰

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中華人民共和国建国から今に至る中国の実態。

ここまでのことが行われたのかと、驚くことばかり。

400頁以上とボリューミーではあるけど、

面白さにつられて2日間で読んでしまった。

で・・・

中国がわかったか?

と聞かれれば、

やっぱりわからない

ここに書かれていることは実態で、

でも中国を考えるには、ダイナミック(広さの意味でなく俯瞰)な観点で見ることが、必要でしょうね。

あれだけの広大な地を治めるには、日本を統一するのとは、感覚からして違うと思うのです。

感覚を推し量るって難しい・・・

中国は、儒教とか論語とか、立派な教えのある国なのに、なんでこうなる?

それを言ってしまうと、

キリスト教だって、イスラム教だって、仏教だって、みんなそうなんだけど・・・

みんな教義は立派なのに、

どんなに理想の社会を目指しても、

そこに住む人間が理想にはならない。

人間って

もし、男性が透明人間だったら、好きな女の子の裸をこっそり覗きに行くと思うし、

女性が透明人間だったら、彼氏が浮気していないか、こっそりストーカーすると思うし、

モノを考えるのは理性だけど、理性の下に流れる本能(煩悩)がある。

ネットの世界のモラルなんて、透明人間にモラルを求めるようなものなんだろうなーって。

そもそも、人間には、(人間だけじゃないけど)命が1つしかないから、欲も出る。

いい意味にも悪い意味にも、欲だらけ。

勝海舟「改革とは、まず自分を改革することにある。」

この言葉はつくづくすごいと思う。

世の中を改革しようと思うのは良いことである反面、

不遜なんだろうなーって。

ダライラマの言う、『人に迷惑をかけない生き方』

多分・・・

悪いことをするだけが迷惑ではなくて、

自分は正しいと思っていることでも他の人にとっての迷惑になる。

この辺が難しいところ・・・

理想の社会は、理想の人間の住む世界。

理想の社会を作ろうと目論むのが、満州国だったり、イスラム国だったり、

でも作ろうとしている人たちが、理想の人間像とは言えないもの。

志しの高さだけで、ことを起こすことが他に多大な迷惑に与える現実。

中国共産党の平等の精神は

建国当初こそ、平等な社会に向けての前進が見られたものの、

毛沢東による「大躍進」政策は、

「国民が平等に貧しくなる」という「平等な社会」をもたらした。

大躍進政策」が批判され、毛沢東の権威が失墜すると、毛沢東文化大革命を発動。

これは、「国民が平等に混乱するという「平等な社会」を現出しました。

これに対して、鄧小平は、「先富論」を打ち出し、

「豊かになれる者から豊かになれ」という方針を打ち出しました。

その結果、確かに豊かになった人々を出現させました。

同時に、いくら頑張っても豊かになれない多くの人民もまた生み出しました。

今ボチボチ唐詩を眺めているけど、

中国の詩は美しいですね。

でも美しい詩の背景には果てしない内乱の歴史がある。