悠久の片隅

日々の記録

池波正太郎ふれあい館

まちの駅よいとこ井波の奥には、池波正太郎ふれあい館があって、

彼の言葉がいくつか紹介されていた。

『人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。

善事を行いつつ知らぬうちに悪事をやってのける。

悪事をはたらきつつ、知らず識(し)らず善事をたのしむ。これが人間だわさ』

鬼平犯科帳。谷中いろは茶屋)

『むかしの男たちは、どんなに貧乏をしていても小遣いに余裕があった。

これは、たしかなことだ。

その余裕が、世の中にうるおいをあたえていたのである。

うるおいといっても、酒や遊びのためばかりではない。

それよりも、もっと重い意義を内蔵したうるおいのことだ』

(日曜日の万年筆・住について)

『いまのところ、われら人間には、まだ[巣]が必要であり、

その[巣]の中には家族がいなくてはならぬ。

そして、その家族たちが、いつも生気にあふれていて、

はたらき手の主人を助けなくてはならぬ。

それでなくては、人間の巣の存在は意味をなさない。』

(食卓の情景・巣と食)

『情緒を失った町は[廃墟]にすぎない。

四季のない町は、日本の町ではない。』

(男のリズム・家)

池波正太郎は、真田太平記がすごく良くて、

あの頃、若い頃どんどん読んでおいてよかったなって思う。

若いときって、忙しいようで実は時間に余裕があって。

時間の余裕というのは、

寿命への余裕という意味なんだけど。

いまこの歳になると、そのことを痛切に感じる。

池波正太郎は小説しか読んでいないけど、今回エッセイも読んでみたくなった。