福翁自伝
今日は宇治茶。
舌の上で転がすようにお茶を味わう。
好みで言えば、多少品が良すぎる感じがしないでもないけど、
うん、なかなか良い感じ。
と、ひとり悦に入る。
本当は畳の香りのする和室で、趣のある庭園など眺めながら頂きたいところですけど、
まぁそれは空想として、
好きなものだから、より心地よくありたい。
訳のお陰か、福沢諭吉の書き方が軽快なせいか、読みやすくてすっご~く面白い。
福沢諭吉の父親は漢学者で、
その頃の学者というのは銭金より読書一遍でありたい、
銭は見るも汚れる的考えの人だった。
大阪に住んでいた頃、先生が子どもたちに九九を教えた。
そんな当たり前のことでも
「けしからぬ事を教える。幼少の小供に勘定の事を知らせるというのはもってのほかだ。」
といって、小供を取り返したことがある。
それが、のちに息子が1万円札の顔になってしまったのだから、
あの世で、今頃苦笑しているのではないかな。
母親もまたなかなかの人で。
屋敷に出入りの百姓町人は無論、えたでも乞食でもさっさと近づけて、
軽蔑もしなければいやがりもせず言葉など至極丁寧であった。
乞食のしらみを取ってあげ、取らせてもらったご褒美に、
ご飯をご馳走するのが母親の楽しみだったようで、
諭吉はシラミつぶしお手伝いをさせられたことを、
回想して今でも気持ちのよいものではないと。
こうして自伝を読んでいると、
子どもの頃本が嫌いだったこと、
でも勉強を始めたら、ものすごく優秀なこと、
物心ついた時にはすでにお酒が好きだったこと、
書生時代の無茶ぶりなど、
お札から飛び出して生身の『人』として甦ってくる。
お金もないままに、ずんずん自分で道を切り開いていく様に、
そういうことの出来る世の中であったし、
またそれが、血肉となり、力になっていったのだろうなーと、
そんな福沢諭吉のエピソードは痛快で面白い。
第一まだ警察がないのだから、ハチャメチャだ。
笑い話ですめばいいけど、
警察や司法が機能しない世の中というものを想像したこともなかった。
この時代は、いつも死と隣合わせで生きていたこと、現代との感覚の違いを思い知らされる。