悠久の片隅

日々の記録

勉強

土日は異常なほどに忙しかった。

今朝は、もう10時くらいかなーと目が覚めた時にはすでにお昼過ぎ。

すぐには起きられなくてお布団の中でグズグズ・・・

せっかくのお休みだけど、死亡

何が不満なのかは知らないけど雨も叩きつけるように降り、風も狂ったように吹き荒れる。

今日は冬タイヤの交換だけ行って、

お菓子やらお昼ごはんやら、いっぱい買い込んで、

ハムスター状態で、家の中でゴソゴソゴロゴロすることにした。

とにかく何でも食べたい。テーブルいっぱいにお菓子を広げてモグモグ。

ほっぺた膨れるほど全部口の中に頬張りたい。

それでも、ここでこうして働いているうちは太ることはないと思う。

今やすっかり肉体労働者。

食べても食べても、おっつかない感じ。

でも女も50を過ぎると、

体重と体型の関係性が希薄になり、

体重とはまったく関係の無いところで、Myお肉は増えたり減ったりしているようで。

自分がそういう年齢になってきたんだなーと、今さら驚いたりする。

だからといって、

何をどうするわけでもなく、自分の外観にほとんど興味が無い。

興味が無いから、こだわれない。

また興味が出たら、少しは色気づくかもしれないけど、今は無理。

ありの~ままの~自分になるの~

福翁自伝 (講談社学術文庫)/土橋 俊一

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面白いよー、面白いよー

自伝ですからね、嘘偽りがあったとしても、それを含めての自伝ですからね、

生の声だと思うと、本当に面白い。

福沢諭吉、書生時代のこと。

緒方洪庵の塾で一生懸命勉強をしているわけです。

その時、腸チフスだったかな、重い病にかかる。

座布団を枕に療養していたが、少し良くなってから、そうだ!枕をしよう。

と、探すも枕がない。

そこで気づく。

1年ほど書生をしているが、いつも勉強しながら突っ伏して眠るか、ゴロンと横になる程度で、

布団を敷いて、夜具をかけ、枕をして寝るなどということは、

ただの1度もしたことがなかったことに、ここで初めて気がついた。

これ以上はないというほどに勉強をしていた。

でも、それは福沢諭吉に限ってのことでなく、同窓生は皆大抵そんなもんだという。

ここまで読んでふと思った。

あれ?福沢諭吉は何になりたくて、これほどまでに勉強してるんだ?

ここまで、そんな話は一切出てこない。

同年代に坂本竜馬などがいて、この時代(幕末から明治)活躍した志士たちは、

皆大いなる志をもっていたはず。

福沢諭吉は1万円札になったけど、そこを目指したはずもなくw

青年時代の夢や希望に一切触れない福沢諭吉を、奇異に感じた。

そんな私の疑問にようやく答えが書かれていた。

緒方塾(大阪)で蘭学書生といえば、世間での評判はよくはない。

ただ昼夜苦しんで難しい原書を読んで面白がっているのみで、

でもその心の奥を覗けば、

貧乏をしても難渋をしても、粗衣粗食、一見みる影もない貧書生でありながら、

日本国中探してもこれだけ難しいものを学んでいる者はいないだろうという自負。

智力思想の活発高尚なることは王侯貴人も眼下に見下すという気位で、

難しければ難しいほど面白い。

緒方の書生が、どれほど勉強しようが、どれほど偉い学者になろうが、実際の仕事に結びつかない。

江戸では世間が蘭学生を求め、大いに稼ぐことも、出世することも可能であったが、

大阪で、蘭学は、とんとお金に縁がない、縁を求めるということもない。

目的ない勉強が、かえって仕合せだった。

わが身の行く末、立身であくせく勉強するということでは、決して真の勉強は出来ないであろうと。