悠久の片隅

日々の記録

エネルギー

箱根駅伝見終えてから、ヤレヤレと重い腰を上げ雪かきに出る。

昨晩は大雪警報が出た。一晩でよく積もった。

50センチくらい積もったかな。

お正月といえば、箱根駅伝見ながらゴロゴロするものと決まっていて、

駅伝を見ないお正月なんて、私も無いし、私の周りでもありえなくて、

そういうものだと思っていた。

でも、それは関東だからなのか。

外に出ると、大家さんが雪かきをしていた。

「午前中は家をやって、午後はこっちをやって、今日は1日除雪デーです。」と笑っていた。

昨日も来てやってくれた。

それでもまた一晩で元の木阿弥・・・

でも新雪のうちにやらなければ、後が大変になるから、

元の木阿弥が大切なのだ。

お正月といえども、駅伝より雪かき。

そういう何十年を重ねてきたんだろうなー。

「私がやっておきますから、よいですよ。」と声をかけていただいたけど、

それは申し訳なさすぎる・・・

私も自分の車の周りだけ1時間かけて雪かき。

ヨイショ!ヨイショ!

雪かきをしていると、暑くなってきて上着はいらない。

お正月で食べ過ぎたお腹にいい運動です。

「なんでも苦痛と思わないで、楽しんでやってますから♪」と、大家さんはいう。

本当にそうなんだろうなー。

ものの見事に次々と雪が用水路に消えていく・・・

(そんな所は誰も通らないし、やる必要ないんじゃない?)

と思うような場所も、丁寧に雪を除去してゆく。

大家さんの万歩計は7千歩を超えていた。

全部が終わる頃には1万歩超えるでしょうね。

3時を過ぎたので「ひとやすみしましょう」とお茶とお饅頭を用意して、しばし休憩。

なんでも楽しんでやる。

それは、その人のもっているエネルギーが違うんじゃないか・・・

そんな話をしているうちに寒くなってきた。小雨も降っている。

汗をかいた身体が冷えてきたので、ふたりしてまた上着を着込んだ。

昔は山登りもし、槍も縦走したという話を聞いていると、こっちまで元気をもらえる。

身体で生きている感じがいいなー。

福王自伝の中で、

政府が福沢諭吉の功労を褒め称えようという話が出た時に、

「誉めるの誉められぬのと全体ソリャ何の事だ、人間が人間当たり前の仕事をしているのに

何も不思議はない、車屋は車をひき豆腐屋は豆腐をこしらえて書生は書を読むというのは

人間当り前の仕事をしているのだ、その仕事をしているのを政府が誉めるというなら、

まず隣の豆腐屋から誉めてもらわねければならぬ、ソンナ事は一切よしなさい。」と言って断った。

何か特別なことを為した人のみ感心がるより、

実際には、一銭にもならないことでもやるべきことを普通にこなしている普通の人びとの姿から

非常に多くのエネルギーを与えられている。

福沢諭吉湯川秀樹、続けて読んだ2人の自伝。

2人とも、自分の子どもも呼び捨てにはしない。

理屈あってのことでなく、

どんな相手に対してでも、人として敬意、尊さという意味で、呼び捨てには出来ないのだと思う。

人から・・・

本から・・・

山から・・・

花から与えられるエネルギー。

この世はエネルギーが満ち溢れている。

雪かきで手に豆が出来たけど、それも生きている証。

多分、痛いことも、つらいことも、かっこよさのひとつ。

この世は敬意を払うべき存在なのだと思える。