悠久の片隅

日々の記録

昭和という国家

「昭和」という国家/司馬 遼太郎

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なんであんなバカな戦争をしてしまったか・・・

司馬遼太郎はこの本の中で軍部の個人には触れていない。

そういう見方はしていない。

触れるとすると、こんな感じ。

『たとえば東条英機という人は、ふつうのつまらない人であります。

せいぜい町内会長が務まる程度の人でして、いまここにもし東条が生きていて、

「東条さん、あなたはむちゃをやりましたね。どういう了見ですか」と言っても、

何の答えも出てきそうにない人ですね。

東条という一人の人間が走り回っていろいろな悪いことをしたということではありません。

日本国のために走り回ったようで実際は日本をつぶすために走り回った、

この人がつぶしたんだという人が一人もいない。

それは日本が官僚の国だからですね。軍人も全部官僚であります。』

軍部の独裁であったにも関わらず、独裁者はいない。

軍内部のポスト、椅子、そこに座った人間が、椅子の思想で振る舞い、ものを言う。

人間が交代しようと、同じ。

東条英機でなく、隣の家の町内会長だったとしても、私が座ったとしても同じ。

怖ろしい椅子ですね・・・・

その椅子、その時の空気。時が過ぎてしまうと、「なんだったんだろう・・・」と、

やはり魔法がとけてしまうと、さっぱりわからないものが、日本にはずっと流れている。

だから『水に流す』とは、いかにも日本的発想なのでしょう。

日本人は、あっけらかんとしていると、他国からみるとそう見えるそうですけど、

水に流せてしまう性質があって、

ユダヤ人のように「元々ここは私の土地です!」と、何千年の時を経て、

イスラエルに国を建ててしまうような性質は日本人には無い。

日本人は多分「それって法律的にはどうなの?」程度にしか考えられない。

法治国家に生まれ育っているから当然なのですけど、

世界は法律のみで出来ていないですからね、白黒つけられないことだらけです。

話がどんどんズレてしまうのでちょっと置いといて。

日清日露と日本は勝利してきましたが、

客観的にみると、表面上は勝利としても、それは日本が強かったからではない。

アメリカは戦後、第三者の専門家に資料を渡し戦史を書かせた。

日本は防衛庁が編纂した。

猪瀬さんが『日本国の研究』の中で書いていたけど、

日本は第三者機関に任せず、監査機関も身内にもつ体制がある。

アジア的な負の部分なのかもしれない。

日本は、自分を絶対視してしまう傾向があるという。

そりゃそうだ。

海の中でポツーンといるのだから、相対的な見方そのものが生まれない。

孫文は日本の明治初期を植民地と解釈していた。

あの時代、中国は半植民地だったと、私は解釈している。

でも、日本が植民地という話はきいたことない。

「いや、そんなはずない。日本は独立国だ!」と怒っておしまいにしてしまうと、

もうそこで思考が停止してしまう。

自分を絶対化して考えた方が楽なのですけどね。

でも他者から見ると、安政の条約は不平等条約であり、これをもって日本は植民地になってしまったということらしい。

30数年後苦心して条約改正をし、日本国は独立国となったらしい(笑)

今の日本とアメリカの関係は同等といえる???

アメリカの軍事基地があって治外法権のようなもので、

アメリカ草案の憲法を戦後70年守り続けて。

孫文からすれば、今の日本も植民地でしょうね。日本人にはその意識がないけれど。

意識はあるか。

あるけど平和のためには、アメリカと同盟関係でいた方が、同盟?!主従関係か。

必要悪ってとこなんかな。

独立したいなぁ・・・・・・

でも日本国の独立より実質的な利?平和を望めば、今のままでいく方がよいのかな。

独立というのも概念ですからね、

宇宙的に考えれば、この世で独立して存在しているものなどない。

だからあまり言葉に捉われて、捉われてというよりこだわる必要もない。

ただ、日本は原発の数が世界第3位。これは概念じゃなく現実。

戦争放棄を声高らかに叫ばなくても、戦争なんて出来ない。

海岸線に54基並べちゃって・・・、米軍基地あっても備えにもならない。

米軍基地ごと吹っ飛ぶ。そっちの方がよほど現実。

地震国なのに、これでは戦争無くとも自滅する。

失敗しちゃたね。

本当は、国民はそんな心配一切しないで暮らしていけたら一番いい。

そういえば、この前スーパーでキャベツが1個500円してた。

青物は天候に左右されるものだけど、野菜って昔より高くなった。

なるべく野菜を摂りたいけど、総じて野菜が高くなったなー。

主婦の日々の頭の中はその程度で精一杯だし、

原発とか憲法とかのことは、政治家や官僚でなんとかしてね。

その為に私たちはあなたたちを雇っているのだから。ってとこ。

話を戻そう。

日清日露で日本は強かったと、絶対視し、自己解剖が出来なかった。

嘘八百の報告書しか書けなかった。

勇敢であるはずの日本軍が、実は身内をかばう体質(とっても中国的ですね)で、自らを裁けなかった。

上司を裁くというのは、縦社会のアジアでは相当に苦しい作業で、

「勝ったから、もういいことにしよう」と、やっぱり終わったことは水に流してしまいそうです。

「勝って兜の緒を締めよ」という諺も古くからあるんでしょうけど、実際は勝ったら兜脱ぐ。99%は脱ぐでしょ。

脱ぎたいがために頑張って勝ったのだと思うし。

実際、日露の勝利で日本は兜を脱いだ途端、

リアルから目を背けて、頭に風船でもつけて、ふわふわ浮ついてしまったのでしょうね。

日清日露の勝利に過信し、坂道を転がり落ちていく・・・

司馬遼太郎は、太平洋戦争を、戦争の土俵にも立てていない変なもの。という意識です。

日露までは戦争であった。

パールハーバーはただ奇襲しただけのもの。

太平洋戦争は、戦争という物理現象の中の穴埋めを肉体でさせたものであったと。

感覚的にわかるような気がします。

ことばで正当化し「戦争するぞ!」と国民を促し、それが敵地への捨身の戦術しかなかった。

この当時はまだ、人と人が戦うのが戦争というもので、そういう意味で太平洋戦争は戦いにもなっていない。

ただやられるだけ。

でも、相手国の人たちは日本軍が怖かったでしょう。最初から命を捨ててきている人間ほど恐ろしいものはない。

実際問題として、世界中を巻き込んでの第二次世界大戦

日本だけ(だけということはないですが)日本国はこの戦争を対岸の火事として、

避けることは出来たのかな。

『繰り返して言いますが、一種の秀才教育、偏差値教育は日露戦争の後にもう始まっています。

つまり薩長が壟断していた権力社会に食い込むには、陸軍大学を出なければいけない、

東京大学法学部を出なければいけないという気分は、特に維新に乗り遅れた藩に多かったですね。

ペーパーテストで秀才という、いい太鼓判を押してもらうと、出世していく。

そういう江戸期離れが始まりました。

明治の人が精神に持っていた江戸期の財産は、大正時代にはもう廃れてきましたですね。

もう昭和になると江戸期のにおいはありません。

ほとんど遺産は食いつぶしたようなものですね。

そして今のようなひどい偏差値社会ではないにしろ、もう大正期にはすでに偏差値偏重の傾向が一部のクラスでは

見受けられていたように思います。

(中略)

ひとの国の痛みがわかるとか、他の民族の歴史に対して荘厳な思いを持つとか、

そういった教育は受けたことがなかったのでしょう。

軍人の学校だけではなくて、

他の学校でも恐らくそういう教育をしたことはなかったと思います。

(中略)

これから世界の人間としてわれわれがつき合ってもらえるようになっていくには、

まず真心ですね。

真心は日本人が大好きな言葉ですが、

その真心を世界の人間に対して持たなければいけない。

相手の国の文化なり、歴史なりをよく知って、相手の痛みをその国で生まれたかのごとくに

感じることが大事ですね。

いろいろな事情から、国家行動とか民族的な行動が出てくるものなのだと、社会の現象も

出てくるものなのだと、いろいろ事情を自分の身につまされて感じる神経ですね。

そういう神経を持ったひとびとが、たくさんの日本人のなかに出てくることによってしか、

日本は生きていけないのではないか。』