悠久の片隅

日々の記録

自己

「自分」の壁 (新潮新書)/養老 孟司

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アメリカは個が強い。と昨日書いたのですが。

今日もグレイズアナトミーを観ていて思ったのですけど、押しの強さが桁違いですね。

社会が終身雇用でなく、実力主義一本なのでこうならざるおえないところからの、

それが当たり前な国なのでしょうけど。

政治として遠くから眺めていると、日本人の政治家情けない。もっとしっかりしてよ。

と思うのだけど、

ドラマで日常として見ると、日本人が太刀打ち出来るレベルじゃない。

常に自分アピール!

自分!自分!って、そんな社会病みそうです。

でもその社会の中からみれば、

自分も自己主張する。同じように他人が自己主張することも認める。

自己主張するということは、他者と敵対してしまうことでもある。

敵にする覚悟とか勇気とか、そういう装備が身についている。だから出来る。

「言いたいことがあるならハッキリ言う!」が基本形。

それが、私から見れば過剰。過剰な自己主張は美学もへったくれもない。

「ハッキリ言う」からの派生か「真実をいう」ことに、ものすごくこだわっているように感じる。

傷つくことでも『真実』の方に重きを置いている。

ガン告知やカミングアウトで考えると、よくわかる。

特に世間体を重んじる日本では、真実以上に世間が重いんだろうなぁ。

養老先生の「自分」の壁には、このように書いてあった。

『声高な人に対しては、「違和感を持つ」という日本人が今でも結構多いように感じられます。

これは私たちの根本には「我を消す」という考えがあるからです。

ある面から見れば、日本の「弱さ」なのでしょう。

日本というよりも、仏教的な考え方のもつ「弱さ」だといったほうがいいかもしれません。』

『日本において「個性を伸ばせ」「自分を確立せよ」といった教育は、

若い人に無理を要求してきただけなのではないでしょうか。

身の丈に合わないことを強いているのですから、結果がよくなるはずもありません。

それよりは世間と折り合うことの大切さを教えたほうが、はるかにましではないでしょうか。』

『日本の伝統的な考えには「自分のために生きているのではない」というのがある。

そうした考えを明治以降、日本は変えようとしてきた。

「西洋的近代的自我」というものを無理矢理導入しようとしたためにややっこしくなってしまった。』

だそうです。