悠久の片隅

日々の記録

日本語

毎日寝る前にグレイズアナトミーを3時間ほど観ている。

毎日3時間ヒアリングやっているようなもんかな、

ゆうべは、夢の中で英語をしゃべろうと、うなされてがんばっていた(笑)

ドラマの中で男女がささやく場面がよくあって、たとえばベッドの中とか・・・

英語のささやきはセクシーで美しい。

声帯の違いなのか、発声の違いなのか、言語の違いなのか、

人種の違いなのかわからないけど、溶ろけるような甘さ。

あれ?これってフランス語の特権だっけ?!

まぁどちらでも良いのだけど、

英語の歌でも歌詞を日本語にすると途端に平坦になってしまうのがどうしてもイヤだ。

日本語は言語としては美しいと思うのだけど、

響きとしては美しくないような感じがして、それは母音のせい。

というのは以前から感じていたのだけど、

今日司馬遼太郎を読んでいたら面白いことが書いてあった。

司馬遼太郎全講演〈2〉1975‐1984 (朝日文庫)/司馬 遼太郎

¥713
Amazon.co.jp

・母音というのはうめき声にすぎない。

・ア~ウ~という、うめき声を言語にするのに子音が要る。

・日本語には母音が多い。

母音はうめき声と言われれば、なるほどです。

母音(ア~ イ~ ウ~ エ~ オ~)確かに言語以前の単なる『声(音)』

ア~~~疲れた。

ウッ!

エーーー!!!

オォ~~~

あたしぃ~ なんとかでぇ~ こうなのぉ~

というのは、言語の原始化ってことね。

そういえば、penisは発音するとピィネス。

ドラマの中で連発してた(笑)

英語はアでも発声が何通りかある、母音それぞれ、何通りかの発声がある。

その微妙なニュアンスが音を豊かにしているのかな。

母音の響き、抑揚がセクシーの差かなと思う。

セリフではない、生物的なところの音の問題だから、官能的(セクシー)なんだと思う。

西洋人と比べたらアジア人は草食でボリュームも控えめ。

それが言語にも影響してるのかなー。

多分そう。きっとそう。

あれだけ抑揚つけてペラペラしゃべるエネルギーは日本人もっていない。

日本の小型車と同じ、人間自体も省エネだね。

江戸時代お百姓さんは400語くらいマスターすればなんとかなったそうです。

驚くほど少ない。

うちで以前飼っていた犬でも100語くらいは理解していた。

もちろんしゃべりはしないけど、わかってはいた。

今飼っている犬はまったくダメ。

関心が自分のことのみで、他何も考えていない。

長生きなのは多分そのせいかと。

『400語くらいの生活ですと、ほとんど母音ですね。』

「ふろ」「めし」「ねる」の世界。

そして驚くことに、

しゃべる言語より、手紙の方が言語が上だった。

幕末、志士たちは口語より手紙で会話をしていた。

だからその頃の文書が多く残っている。

のちに洋行帰りの福沢諭吉がこんなことを言ったそうです。

「西洋人は口語で意味を伝えるという不思議な、ありえないことをやっている。

だから西洋は偉くなった。」

逆に言えば、発展していた文章言語は明治維新以降崩壊してしまった。

そして現代の文章日本語が定着したのが100年後の昭和30年頃というのにも驚きです。

会話表現については、こんな風に書かれています。

『日本人と西洋人の場合、話し方というものが、どうも違うような気がしています。

西洋人が話す場合、ギリシャ以来の論理学や修辞法を踏まえていますね。』

形而上的な、あるいは抽象的なしゃべり方をする。

これは間違いない。

昨日も

「キミとボクはハムエッグ」という愛のフレーズがあって、

女性は鶏。タマゴ(卵子)を与えてくれる存在。で、自分は豚(ハム)。身(命)を捧げる。

そのくらい貴女を愛しているということらしいけど、わかりにくいってば(笑)

考えないと意味がわからないセリフがちょこちょこある。

直接的な表現はしないけど、正面からズバズバ言う。

司馬遼太郎を読んでグレイズアナトミーを考えたり、

グレイズアナトミーを観て、司馬遼太郎を考えたり、

そんな中で脳内のジグゾーパスルのピースがピッタリはまることがあって、

それもまた楽しみのひとつになっているんだな。