悠久の片隅

日々の記録

三角は三角

司馬遼太郎全講演〈2〉1975‐1984 (朝日文庫)/司馬 遼太郎

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一巻とだぶる話が多い。

五巻まで読んだら半分は同じ話しかも(笑)

『合理主義の定義は難しいんですが、要するに、物を見る目が、厳密なリアリズムで成立しているということです。

三角は三角、円は円と見る目が、合理主義ですね。その合理主義は、商品経済がつくりあげる。

商品経済のないところでは合理主義はできあがらないんです。』

グレイズアナトミーで、

心臓移植を受けたインディアンの男性が、移植した心臓を取り外して欲しいと医者に頼む話がある。

「死者や死者の物に触ると祟りがある。」というような一族の信仰なのでしょうけど。

「もし移植した心臓を取ってしまったら、あなたは苦しみながら死んでいく。」

と、女医はつっぱねる。

苦しみながら死んでいくのが事実としてもそのままを相手に伝えてしまうのは

極端な合理主義で、感情がそこに一切ない。

極端な観念主義と極端な合理主義。

この2人の間を中間的な意見で取り持とうとする医師も出てくるけど、

観念ですからね、グレイゾーンってものは無い。

黒か白しかない。

日本人は時と場合で黒にも白にもなれちゃう。

ニュートラル状態と思えばいいのですけど、中立とは立ち位置が違う気がしますし、

偏らないというより、偏れない・・・かな。

「患者をリスペクトしなければならない」というのが病院のルール。

何が良いとか悪いとかでなく、患者の観念(意志)をリスペクトする。

結局移植した心臓を取りだす手術をするのですけど、ドラマですからね、ここで奇跡が起きる。

移植した心臓を取り除いたら、6年間止まっていた本人の心臓が動き出した。

インディアンはこの奇跡を「これが自分のbeliefs(信念)」という。

(信念というより信仰と訳した方がいいかな)

医者は「これは科学」だという。

インディアンは「科学も、見たもの触ったものを信じるというbeliefsなのだ」と言う。

ほ~なるほどねぇ・・・と感心しながらみていました。

最後の方で、

心臓のスペシャリストであるこのお医者さんは自分がアスペルガーであることを告白する。

心臓という規則正しいものが好き。

でも他人の感情にはうまく対応することが出来ない。

彼女の極端な合理主義は病気のひとつの症状だったということかな。

アメリカのドラマのこういうところが好き!

このドラマのように、

アニミズム(霊魂)の世界では、合理主義は発達しないというのがわかる。

100円の価値の物を100円硬貨で買うのが商品経済。

『商品経済の発達しない土地ではイデオロギーが尊ばれますが、盛んな所では議論、理論よりも現実のほうが先行します。

かつての大阪人にはその合理主義がありました。

ところがそういう合理主義を生む土壌に大阪はあぐらをかきすぎていたようです。

また、徳川時代に保護されていたため、売ることばかり考えるところが大阪にはあります。

物をつくるということは損なことです。研究にもお金がかかる。それより売ったほうがいい。

高利に回した方がいい。』

これは華僑の経済思想と似たところがあって、

華僑は商業のみで、物をつくる喜びには遠いところにある。

『大阪も、物をつくるよりも売ったほうが早いという精神がいつしかできあがった。

こういう精神のなかにいわゆる大阪地盤沈下の原因があるような気がします。

大阪という土地は、秀吉が考えたように世界を相手にする土地なのです。

世界の人の快感になるようなものをつくりだすべき街である。』

経済にネットが大きくかかわってきた現在では、

これももう過去の発想になってしまうのかもしれないですけど、

でもここで最後に司馬遼太郎が述べていることは、大阪の町をもう少しきれいにしましょうということ。

ホントにね、富山も良い所なんですけど、

海岸に行くとゴミがいっぱい。

びっくりするほど、汚い。湘南海岸より汚いかも。

でも、

こう言っているだけでは現実は何も変わらない。

私自身がゴミを拾わなければ何も変わらない。

養老先生の言っていることはそういうことですよね。

だから参勤交代をしなさいと。

観念、リアリズム、ずっと考えていると、頭が混乱してきます。

ホント頭だけで考えていると余計におかしくなりそうなので、

明日は気分転換でどこか行こうかな。