悠久の片隅

日々の記録

現実

「自分」の壁 (新潮新書)/養老 孟司

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『表に出る言説では「この国を根本から変えるべきだ」といったものがあります。

街中で、「この国を根本から変えるべきでしょうか」と聞けば、「その通り」と答える人も

いるでしょう。でも、ホンネでは多くの人はそんなことを望んでいません。

ここまでシステムができあがった国で、そんなに困らずに生活ができていれば、

革命なんか望むはずがありません。

日本のような煮詰まった状態の国では、政治の出番は大してない。万事が必然だからです。

「これが悪い」ということにも、ある程度は存在理由があることが多い。』

大阪都構想が否決廃案なったのも、こういうことでしょうか。

メリットデメリットあって、結局現状のまま。

というのがとても日本的ということなのでしょう。

『一億人以上の国民がいる国において、リーダー次第でガラっとやり方が変わるなどという

ことがあるとすれば、それは不安定で良くないシステムだと言わざるおえません。』

『真面目な人ほど、社会の問題を考えて「自分が世の中を変えねば」と強く思うのでしょう。

周りが頼りなく見える人ほど、そういう気持ちは強くなる。

でも、本当はたいていの人はフラフラ生きているものです。

目の前のことをやるので精一杯。ただしその精一杯をやっているうちに、

ときおり世の中に役立つ、世の中を変えることにつながることも出てくる。

そのくらいでいいのではないでしょうか。』

ずっと司馬遼太郎を読んでいて、

最近、リアリズムと観念論にこだわって物事考えるようにしているのですけど、

養老先生は、

肉体から内臓をとりだし机の上において、あらゆる角度から眺めているような圧倒的リアリズムですね。

『言葉は最初からウソなのです。現実とは関係ない。』

この辺りが、日本人には理解できない部分な気がします。

でも、

「健やかなる時も病める時も・・・」の誓いにしても、

「一応そのつもりですけど、確約はできません」程度ですね。

そんなもん誓ったところで現実の前には意味が無いことくらい、この歳になるとわかります。

(神に誓っている方たちは問題が違うけど)

話を戻します。

選挙に関しても

『紙に名前を書いて箱に入れるだけで、なにか変ると本気でみなさん思っているのですか、

それはおまじないと同じではないですか。』

『言葉が動かすことができるのは人の考えだけです。その結果、

その人が具体的に動いたときに、はじめて現実が動く。

だから現実が厳しくなってきたときに、言葉に誠実すぎる人はまずいことをする。

現実よりも、言葉にひきずられるからです。』

『今の日本で、政権交代が行われたとしても、とりあえずできるのは人間の入れ替え程度です。制度そのものは、これまでと同じです。』

『いかに世間が壊れてきたといっても、今でも基本的に世間は政治と別に機能している。

政治のシステムは後から入ってきたものです。だから、政治と生活は関係していないし、

それで何とかなるのです。』

なんで、この世は肝心な現実の方がうすらぼんやりしてしまうのでしょう。

『それを唯一止める方法は、意識を疑うことです。

決して今の自分の考え、意識は絶対的なものではない。その視点を常に持っておくことです。』

『言葉でつじつまをあわせているから、理屈としては成り立っていることもあるでしょう。

しかし、それは現実とは別のものです。あくまでも言葉に過ぎません。

イデオロギーや言葉よりは、そこに生えている草木のほうがよほどたしかでしょう。』