悠久の片隅

日々の記録

心と形

司馬遼太郎全講演[4] 1988(2)-1991 (朝日文庫)/司馬 遼太郎

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韓国ドラマの見過ぎで、

本を読もうとしたら、文字がすっと頭に入ってこない。

今、私の頭の中は高麗人になっているかも(笑)

本の中の日本の風景がぼんやり遠く感じる。

テレビは映像が直に頭の中に送られてくるけど、本は自分で想像し映像を頭に描かなければいけない。

テレビに慣れ過ぎると、本が入ってきずらくなる。

この本ももう四巻。同じような内容で繰り返されているけど、

今回の『心と形』というテーマは仏教のこと。

『仏教とは徹頭徹尾明るい思想なのです。日本にきてちょっと陰気になっただけです。』

と、ある。

ドラマの中で高麗という国が仏教をとても大切にしているのがわかる。

蒙古軍の砲火の手から大蔵経という仏教の経典、国の宝を命を捨てて守ろうとしている。

仏教が国家の上にあって、民の心の拠り所となっている。

遊牧民は大層な経典を後生大事にする意味がわからないでしょうね。

移動するんですから、荷物は軽い方がいい(笑)

でもそんなモンゴルも中国に苦しめられ続けるのですから、すべて虚しい。

仏教は宇宙の原理であり、一切はゼロである。

往生というのは、往って(逝って)生まれる。

死は生であり、生は死である。

一切は空(くう)であり、あまたに溢れる光である。

『無我』

「自分の身体のどの部分も、わが所有物ではない。」

宇宙の原理が仮の姿として自分の体や胃や骨髄や皮膚や角膜といった形をとって

あらわれているだけのものである。

ゼロと言われても困りますけどね。ゼロじゃ救われない(笑)

一切がゼロなら宗教にもなりえないし、科学に近い。

キリスト教など一神教の『絶対』に対して、

仏教は生きることは死ぬこと。のように、『無絶対』と言いたくなる。

普通に言えば『相対』となるんだろうけど。どこにも絶対がない。

だからトンチというか、

キツネにつままれたような、タヌキに化かされたようなところがある。

肉体に執着するべからず。と、病院に書いてあったら怖いですけど、

仏教とはそういうこと。

でも、世の中の悩みは執着で、

一切に執着しない、一切が宇宙となると、

臓器移植は迷いなく出来るようにも思えるけど、

逆に臓器移植をしようという思いさえも、宇宙の原理でいうと、また自分勝手な欲なのでしょうか。

この肉体は自然に朽ちるにまかせ、鳥にでもつつかれてしまうのがよいのでしょうかね。

ん。。。それが、チベットやインドの鳥葬か。

死とは溢れる光の中に生きること。

となると、仏教は確かに明るいもので、

鳥につつかれるのは、原始的ではあるけど、

健康的発想でポジティブシンキングなのでは?と思える。

臓器移植といえば、

グレイズアナトミー(アメリカ医療ドラマ)の中で、

移植しようとした肝臓を床に落としてしまうシーンがあって、

一瞬凍りついたあと、

次の瞬間「5秒ルールで大丈夫」と言ってすぐ拾う(笑)

アメリカにも5秒ルールってあるのかと!

日本では3秒っていうけど、アメリカだと5秒(笑)

肝臓を落としたのは単純なミスだけど、単純なミスほど防げないのかも。

だいたい、日常においては物を落とすことはミスではないし。

肝臓だから大きなミスだけど、物って、落ちるものだしね。

結局、床に落とした肝臓を移植した患者さんは元気になって、

なんの問題も無く肝臓移植をした患者さんの方が亡くなるという、

すべてが、結果に結びつくわけではない。というような内容だったと思うけど。

『武神』は、ギブアップしようかと。

あまりに苦しくて見れなくなってしまった(泣)

奴婢、奴隷の立場から武力政権の最高権力者になる物語だけど、

サクセスストーリーかというと、

ん・・・・・・・・・・・・・

苦しい。

階段を1つ上がるたびに、苦しみが増していく。

勿論、最高権力を手に入れるところを見たい。

見たいけど、もう無理みたい。

中毒のように見入っていたのに、

主人公だけでなく、その周囲の人たちにも情がわいて、

これ以上傷つくのを見ていられない。

もしキム・ギョンソンが気の毒なことになったら、私耐えられない!

キム・ギョンソンかっこいいよ~~~~~

しばらく読書します(笑)