悠久の片隅

日々の記録

朝鮮

『武神』

韓流ドラマが面白いと聞いてはいたけど、ドラマも国の宝ですね。

『歴史の交差路にて(日中・中国・朝鮮)』をチラ見すると、

朝鮮の外圧を数え上げたら、九百何回。とあった。

外圧というのは、他国から攻められたことだと思うのですけど、勿論そこには日本の侵略も入っているわけで。

それにしても九百って・・・・・

朝鮮の歴史は常に外圧に苦しめ続けられていて、

しかも北朝鮮の方は、決して肥沃な恵まれた土地というわけでなく、食べるにやっと。生きるにやっと。で、

その上、兵士や武器など戦の費用も賄わなければいけないとは。

食べるものが無くても、敵は勝手に侵略してくる。

よくそんな中で、中国やモンゴルという大国に溶けて消えることもなく、領土も文化も残ったものです。

半島でほとんどの部分は海であったからかもしれないですね。

まして海の向こうは外交下手の日本。

日本は戦国時代群雄割拠、と言っても、日本人同士が日本国内で争うのですから、

あまりに卑劣な行為は武士としてあるまじきと後々まで嘲笑されることがわかっているので、ある程度自制心がある。

でもそれとは違って、他国、多文化への攻撃というのは、どこもし烈。

現代もそうですけど。

今、このドラマも、高麗への蒙古軍の侵略が始まりました。

蒙古軍を獣と言って、相当に酷く描いていますけど、

実際、相当に酷かったでしょう。でなければあれだけの大帝国は作れない。

恐怖で相手を慄かせ、力で屈服させる。

司馬遼太郎は、中国は日本を見下ししているけど、倭人といって『倭という字が人偏』であるだけまだマシ。という。

他民族に対しては、獣の呼び名が多いそうです。

ともかく、九百の外圧があれば、国内の闘争などしている暇などなかったでしょう。

外圧に負けて属国にされてしまえば、国内の権力闘争どころじゃない。

織田信長は、比叡山焼き討ちで1000人以上の僧を殺した。

その1つをもって信長は極悪人のように言われるけど、高麗でも軍が800人以上の僧を弾圧、殺した。

でもその後モンゴルが侵略してくると、

高僧が軍に対し「僧を使ってください。国の大事に僧も俗もない。」と、申し出る。

僧というのは、心技体。

心も体も同じように精進するもの。

武術の美しさはバランスだと思うのですけど、そうやって僧も立派な文人であり、武人である。

すごいですね。

まず祖国を守るという意識があって、善悪の意識はその下に位置するのかも。

祖国は母、国王は父と。それが朝鮮の守るべきもの。

朝鮮と日本で格段に違うのは歴史の積み重ねが違うわけで、

日本がいくら国の為にと思っても、それが善悪を超越した場所におかれることはない。

勿論朝鮮もそう思っているのでしょうけど、日本人が思っているそれとはあきらかに違う。

九百回他国から攻められた国の人の気持ちは、日本人は決して計れない。

だけどね、

だけど、不幸な過去を盾にいつまでも自分たちの権利ばかり主張をするのは残念に思う。

高麗にこれだけ素晴らしい人たちがいて、

自分の悲運に泣き言ひとつ言わず、自ら運命を切り開いていく武神の主人公は

いったいどこの国の方ですか?と思ってしまう。

まぁ、なんでも過去はついつい理想になってしまいますけど。

武神がとにかく面白い。

史実を元にしていても、史実とはかけ離れているかもしれないし、

他国を貶めて書いている部分もあるかもしれないけど、

そう書きたくなる気持ちも含めてのドラマということで、

途中画面を止めて、ハンカチを持ってきて、ヒィヒィ、泣きながら、

好きな場面は何度も繰り返して、本当に面白くみている。

私は何世紀もあとになってこの時代を俯瞰してみているから、

戦争の繰り返しを虚しくしか思えないけど、当時の人たちは戦う他なかった。

この先どうなるのかなぁ・・・モンゴルに降伏するしかないのかなぁ泣

ガンバレ!高麗キティちゃん×涙