悠久の片隅

日々の記録

孫武大伝

中国の大河ドラマ孫子大伝』35話を一気に観た。

話は、春秋戦国時代(紀元前)。

諸侯たちの覇権争いによる乱世が500年以上続いた。

なんの苦しみも無いお花畑の世に、思想家は出てこない。

この時代に、孔子老子孫武孫子)など諸子百家が出現したのは偶然ではなく、

人びとの血と涙の苦しみから生まれたといえる。

「なんで、こんな世の中なのか」「なんで、なんで、」

それにしても、紀元前ですからね。

紀元前にすでにこれだけの思想が確立され、今も尚通じることに驚いています。

孫武の時代に孫武の願いは叶わなかった。

多くの武将たちに孫子孫武の兵法)は用いられても、誰一人真意を理解してはいなかった。

兵法の極意。

でも一番は、天下統一など無い。

天下は元々が1つである。

天も地もない、1つなのだ。これ以上でもこれ以下もない。と、孫武はいう。

アフリカのAさんの悲しみは、中国のBさんの悲しみであり、アメリカのCさんの悲しみであり、

私の悲しみでもある。

理想論は何年たっても理想論でしかなく、理想論では悲しみは解決しない。

現実の争いを止めることが出来ない。

それ故の兵法というものを孫武は唱え続けた。

この時代、日本は縄文から弥生時代へと移り変わっていく。

縄文時代の日本人が、弥生時代の日本人に移行したわけではない。

というのが、このところの説。

弥生人のDNAは大陸に通じる。

ということは、中国の戦国の世から逃れ別天地を求め日本に渡ってきたのが弥生人(今の日本人)かもしれない。

鉄の文化をもった弥生人は、それまでいた縄文人を滅ぼし、稲作を始め、村を造り、

それが今の日本となっていった・・・のかも。

私たちの祖先が、縄文人(元から住んでいた日本人)を滅ぼしてしまったとしたら、

罪深いことです。

人間とは、誰しもが罪深い。

だから労わりあえたらよいのですけどなかなか難しいものです。

日本の弥生時代、中国ではすでにとてつもない偉大な文明文化があった。

中国は偉大です。

時代は戦国ではあったけど、現代の中国より生き生きしているように思える。

中国の大河ドラマをみていると、中国はダイナミックですね。圧倒されます。

良きにつけ悪しきにつけ、スケールが違う。本気が違う。

ただ、

物事あまり突き詰めると、

高いシーソーの突端と突端では、大怪我をする確率も高い。

もっと内側の、ブレが少ない所で小さくギッタンバッタン。社会はこの程度が無難といえるのかも。

日本は、中国の良い面だけを抽出してサラッと受け継いだ。そんな感じがします。

色々授けていただいた中国に感謝です。尊ぶ存在だと思います。

良いものは良い!ただ、今の中国はなんでこうも幻滅させられるのでしょう。

書物や映像の中国と現実の中国があまりにかけ離れていて、

とりあえず、現実は見ないことにしておきます。

孫武大伝』とても面白かったです。中国の大河ドラマは、何みても良いな~。

私はすぐ感化されてしまうので、コーエー三国志のゲームを注文しちゃいました(笑)