悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11355398046.html">狭き門</a>

狭き門 (新潮文庫)/ジッド

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信仰が無いと、フランス文学の素地が無いと、この物語を理解することは出来ないのかな。

「わたしの考えでは、死ぬっていうのはかえって近づけてくれることだと思うわ・・・・・

そう、生きているうちに離れていたものを、近づけてくれることだと思うわ」

俗世での愛を受け入れることなく、死を選んだアリサ。

生きている間は、神以外への愛は捨て、苦しまなければいけないものなのか。

離れることで二人の愛は昇華されるのだろうか。

狭き門・・・

宗教とは本当に狭き門だな。

ここまでくると、

宗教のエゴを感じてしまう。

神谷美恵子キリスト教に傾倒していたが、40歳を過ぎ仏教に近づきだす

キリスト教だけが真理を握っていると考える人々の狭量さは耐えがたいものだ。

キリスト自身の排他性にその根がある」

「私が『キリスト者』になれない理由は、イエスが三十歳の若さで自ら死におもむいたためだ。

三十歳といえば心身ともに絶頂のとき。

その時思う理想と、六十五歳にして経験する病と老いに何年もくらすことは、

何という違いのあることだろう!!

私はまだしもブッダのほうに、

人生の栄華もその空しさも経験し老境にまで至って考えたことの方に惹かれる」

ジッドは、厳格な清教徒教育を受けて育つ。

アリサのモデルでもあるマドレーヌを愛し結婚するが、

ジッドは同性愛者で、マドレーヌは処女妻とし、生涯を終える。

でもマドレーヌの死でジッドは、生きる意味も無くししまうほどだったということは、

同性愛というのは性癖だけのことで、マドレーヌへの愛は

ダンテのベアトリーチェのように、聖女として愛していたのかな。

信仰と自分の内面の葛藤が、

この狭き門という物語を起こさせたのか。

繊細で、純粋すぎてどうにもならない愛の物語は、読んでいてきつい。

狭き門はきつすぎる。

神を一番に重きをおき愛し、その愛を貫いたアリサ。

んーーーーーーーー

でもその方がラクだったかな。神を裏切り、恋する人の元へ走るよりは・・・・・

会っている時は五感で愛する。

離れている時は魂で愛する。