今昔物語集
- 作者: 角川書店
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2002/03
- メディア: 文庫
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今昔物語はインド、中国、そして北海道から沖縄を舞台にした千話以上の説話集。
これ平安時代?
インド、中国、日本全土って、壮大だ・・・
根っこに仏教が流れているから、物語はインドから始まっているのですけど、
軽い読み物です。
これのイスラム版が千夜一夜物語(アラビアンナイト)みたいなものかな。
物語としてはアラビアンナイトの方が面白い。
でもところどころの説法としての話は(全部説法なのかな、説話集なのだからw)思わず唸ってしまう。
私が好きなのはクマラエンのお話。
クマラエンはクマラジュウのこと?
と思ったらクマラジュウのお父さんだった。
でも私の知ってるクマラジュウの話と少し似てたり違ったり、
これは今昔物語だから、インドのクマラジュウの物語を元に創作したのかな。
王は涙ながらに、こう説得した。邪淫戒(女性と交わってはいけない戒律)を守るのは自分一人のつごうではないか。
仏法を中国に伝えることと、どちらがたいせつか、と。
クマラエンはようやく王の勧めを受け入れた。
クマラエンはインドの仏教を中国に伝えたかった。
その為にインドからシャカ像を背負いヒマラヤを越え中国に向かう途中で、この王と出会った。
ヒマラヤを越えるって、過酷すぎる・・・
王は、年老いたクマラエンに同情し、
自分の娘と一緒になって、子供を作り、その子供にシャカ像を運んでもらうことを考えたのだった。
ずいぶん、気の長い話になったよぉ(笑)
でも聖人クマラエンは、戒律を破るわけにはいかなかった。
(戒律を破ると破壊僧という死ぬよりつらい汚名をきせられる)
でも王は、それはアナタだけの都合だと。
すごいなー。
クマラエンは、王の勧めを受け入れた。
それでも子供が出来ない。
はて?
それは『諸行無常』のお経を唱えながら交わっていたからだ。
王女は、クマラエンの口を封じ、無事子供を授かる。
クマラエン亡き後、その子クマラジュウがシャカ像を中国に届け、
そして仏教は中国に広がり、それが日本にも渡った。
親鸞上人が経典とした阿弥陀経は、クマラジュウがサンスクリット語から漢語に翻訳したもの。
今昔物語の書き方はそんな堅苦しい感じではなく
必死にヒマラヤを越えシャカ像を運ぶクマラエンにシャカは同情し、
昼はクマラエンが仏像を背負い、夜は仏像(シャカ)がクマラエンを背負った。
と、その光景がなんともユニーク♪
説法とは、人々にわかりやすく『心』を伝えるものだもの。
それが今昔物語の良さで、好きだなー。
で、
このシャカ像なんだけど、
クマラエンが盗んできちゃったものなんだけどね(笑)
今昔物語もそうだけど、
古典は、
何が良くて何が悪いって
絶対的基準って無いんじゃないかな。
人間の本能が優先することをそのままが剥き出し。
私はこのクマラエンの話が好きだけど、
今昔物語の真髄は
愛児を犠牲にして貞操を守った女、
洪水の時、愛児を捨てて母親を救った男、
など、人間のどうしょうもなさを叩きつけてくるような話なんじゃないかと思う。
芥川龍之介は羅生門、鼻、芋粥など今昔物語を題材にした小説を書いている。
野生の美しさ(芥川龍之介の評価)
-この生まなましさは、「今昔物語」の芸術的生命であると言っても差し支えない。
この生まなましさは、本朝(日本)の部には、一層野蛮に輝いている。
一層野蛮に?
-僕はやっと「今昔物語」の本来の面目を発見した。
「今昔物語」の芸術的生命はなまなましさだけに終わっていない。
それは紅毛人の言葉を借りれば、brutality(野生)の美しさである。
或いは優美とか華奢とかには最も縁の遠い美しさである。
(中略)
「今昔物語」の作者は事実を写すのに少しも手加減を加えていない。
これは僕等人間の心理を写すのにも同じことである。
尤も「今昔物語」の中の人物は、あらゆる伝説の中の人物のやうに複雑な心理の持ち主ではない。
彼等の心理は陰影の乏しい原色ばかりで並べている。
しかし今日の僕等の心理にも如何に彼等の心理の中に響き合う色を持っているであらう。
なにをもって健全というか、
もしかしたら真逆なのかもしれない。
今の時代、すべて病んでいて、
古事記や今昔物語の世界が健全にもみえてくる。
古典は、失われた人間の感覚を呼び覚ましてくれる。
何百年、何千年廃れないものは、魂へ訴えかけてくる。