悠久の片隅

日々の記録

イノセンス

秋風が気持いい。

昨日今日で夏の庭のあと片付け。

抜いて放ってあった黄花コスモス、ゴーヤ、朝顔を片付けたら庭がだいぶサッパリした。

芝もあと1回刈って終了かな。

ベンチもひとつ置きたいし、冬に向けて庭をどういじっていこうか嬉しい悩み。

以前地植えにして(雑草化して)失敗したススキも鉢なら大丈夫かな。

十五夜しか注目されないけど、十六夜だって十七夜だってお月様は綺麗。

秋は、天空の白い月より、早い時間の低く黄色いお月様とススキがよく似合う。

今年はススキの花穂が遅い。

ススキだけじゃなくて、今年は春から全体的に植物が遅い感じがする。


ポケットアンソロジー 生の深みを覗く (岩波文庫)

ポケットアンソロジー 生の深みを覗く (岩波文庫)

イノセンス(無垢)のゆくえ

Ⅱ関係のゆらぎ

Ⅲ方法の幻惑

Ⅳ日常の変転

Ⅴ生存の根拠

の4つのコンセプトで分けてあるアンソロジー。

Iを読んだ。

谷崎潤一郎の『小さな王国』が怖い。

怖いというか、うすら寒さを感じた。

主人公は小学教師。

ごく普通の教師、またある程度は自分の教師としての力量にも自信をもっている。

それがひとりの転入生により崩壊していく。

教師が知らぬ間に、転校生に対しクラス一同が心酔していく。

元々クラスには、ガキ大将も学力優秀の子もいたけど

クラスのみんながみんな、その子の子分になっていく。

この子は、共産主義でクラスを掌握していったのです。

私は若い頃、なんで共産主義がいけないのか、わからなかった。

共産主義は理想の社会なのではないかと。

イスラムでは、富をもつものが、困窮するものに施すことが当たり前とされている。

困窮する者が「ギブミーマネー」とアクションを起こすことは、困ってる者の当然の行い。

日本では税金という形で高所得者から多くを徴収し、社会保障として再分配する。

国がオートマチックにお金の配分をする。

国から与えられたお金が誰から出ているのか相手の顔がまったく見えないというのは、

現実としては不自然で、イスラムの方が自然に思えてしまう。

いや、

本の話からそれたけど、

この子は、自分が大統領となり、クラスの子をすべて統制下においた。

密偵も作り、素行の悪い子には罰を与え、

また自分のお札を発行し、階級により給付し、

誰でも家でお小遣いもらうと物品に替え、

それをみんなの市場に出さなければいけない。貧しい家の子も彼らの市場で買うことが出来る。

徐々にクラスの子の持ち物やお小遣いが均等化されていく。

大統領はいくらでも勝手なことが出来るが、この子はしない。

自分に対しても罰則を守る。

強きを挫き、弱きを助ける。だから皆心酔している。

現実的な社会主義の国の崩壊は、トップが人間(完璧でないもの)だから崩れていった。

この子のようだったら、理想的な社会主義の国になるのかもしれない。

でも、

こうして眺めてみると、

社会主義とは、不自然な社会であることがわかる。

人は、元来平等ではない。機械でもない。

お金がある者、無い者、有利不利が生じてしまうのが世の中で、

それをすべて統制で縛り平等へと導くことは、元来は不自然です。

理想であっても、不自然です。

国をすべて社会主義で作っていこうというのは、やはり不自然で、

弱肉強食の民主主義と

強きを挫きすぎれば弱きも挫ける社会主義

民主主義と社会主義の真ん中あたり。それが理想の限界なのではないかと感じる。

真ん中なので、完璧なものもないし、常に安定したものでもないけれど、

どちらかだけに傾いていかない程度のもの。

今の日本がそうだと思う。

谷崎潤一郎が何を思い、何を伝えたくて、この物語を書いたのか私にはわからない。

でも「今日は二宮尊徳先生のお話をしますから、みんな厳粛にきかなければいけません。」

と、修身に力をこめる教師と、共産主義に傾いていく子供たちの対比が面白いです。

子沢山のこの教師、家計が苦しく、今日の赤ちゃんのミルク代にも困っている。

そうして最後は、この子どもの市場に取り込まれていくところが、なんとも哀れです。

いくら身を正し、倹約に努めても、お金が無いことの解決にはならない現実に

いかんともしがたい思いです。


このポケットアンソロジーにはイノセンスというカテゴリーで

ウルフ、谷崎潤一郎、ウェルティ、プルーストの4作品がおさめられている。

イノセンス(無垢)でこの4作品か。

無垢って広いな。

編集した中村邦生という方がどんな人なのか知りたくなりました。