<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11272077771.html">十二人の怒れる男</a>
一部屋で12人の男達が少年裁判の審議をする。
たったそれだけの映画。
脚本が良ければ、
美しい映像も、カラーもなんもいらない。
壮大なスペクタルなどなくても、これだけのものが作れることに感服します。
大の大人が、自分の考え、思想を曲げることは大変なことだ。
特に、人前で屈したことを認めることは。
しかし屈した者が惨めには見えない。自己を克服する事は誇らしく、そして輝いている。
既存の固定観念を切り離し、
自らのプライドを捨て、
道徳心を追求する。
そこに、宗教や人種や人格が絡んでくる。
並大抵のことではない。
裁かれているのが少年ではなく、徐々にここにいる12人の男達になっていく心理表現の巧みさ。
裁く人間は、自らが裁かれているのだ!
この前私は異邦人を読んで、裁判さえ真理かどうかわからないと言った。
それがここに浮き彫りにされている。
文学作品とは、あらゆるものに通じる・・・
この12人は、リメイクのようなので
異なるキャストの古いものも見てみたい。
12人が話をするだけの映画が
役者と監督が違うとどう変わるのか。
こういう骨太の映画は好きです。