悠久の片隅

日々の記録

丁汝昌

氷川清話 (講談社学術文庫)/勝 海舟

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この中で勝海舟は『丁汝昌』を海外の親友といい、彼の死を悼む漢詩を詠んでいる。

日清戦争で、極東最強と謳われた北洋艦隊を率いるは丁汝昌(ていじょしょう)。

日本の連合艦隊司令長官伊東祐亨(いとうすけゆき)。

勝海舟にしてみれば、丁汝昌は大切な友人、伊東祐亨は大切な教え子。

おれの胸は、あちらを思ひ、こちらを思ひ、殆んど千々(ちぢ)に砕けた・・・・・

北洋艦隊と大日本帝国艦隊があいまみえた威海衛(いかいえい)の海戦で、

日本の勝利が確実のものとなった時、伊東は丁汝昌に降伏を促す手紙を送る。

「つつしんで丁提督閣下にに呈する。

時局のうつりかわりは、不幸にも閣下をしておたがいに敵たらしめるにいたった。

しかしながら、今の時代の戦争は国と国のあいだの戦争であり、一人一人の反目ではない。

だから私と閣下との友情にいたっては依然として昔ながらの温かみを保っているものと信ずる。

それゆえに閣下はこの書を保っているものと信じる。

それゆえに閣下はこの書をもって単に降伏をうながす性質のものとうけとらず、

私の心のいま深く苦しんでいる所を洞察し、それを信じて読んでくださることをこいねがう。」

丁汝昌と伊東も友人であった。

というより、勝にしろ、伊東にしろ、丁汝昌にしろ、

西欧と渡り合っていくための、

アジアにおいてまだまだ未熟な海軍を立ち上げる苦労を重ねてきたという点で、

国は違えどその辛苦は同志であって、誰よりわかりあえる友人であった。

勝海舟も何度も干されている。

でも人生にはいかんともしがたい不遇はつきもので、

浮き沈みは必ずある。でもたとえ沈んでも10年。そこを耐えればまた用いられることはある。

と、そんな考えだった。

丁汝昌だって、英雄になったり、落とされたり様々な苦労があったのだと思う。

伊東から丁汝昌に送った手紙には、

負けてもそれは貴方のせいではない、艦隊のせいでもない。

貴方の国の秩序、制度の問題で、そういう国であっては、どうしようもないこと。

貴方はなんも恥じるところはないのであって、なんとしても生き残っていただきたい。

清国再興の折には、必ずや貴方の力が必要になる。

ただ、今帰れば貴方は必ず殺されるであろうから、とりあえず日本に亡命してはどうか。

貴方の身に関しては、世界に鳴る日本の武士道が保障する。

泣けます・・・

保障するというものの、

国の許可を得てのことではない。

もし政府よりお咎めがあった場合には、伊東も切腹覚悟でのこと。

数日後、いよいよ雌雄を決するにいたって、丁汝昌は伊東に降伏の使者を送る。

「艦隊と砲台兵器はすべて日本に渡すが、自分の命と引き替えに部下の命を助けてほしい。

これが嘘ではないという証拠に、イギリス艦隊司令長官に証人となってもらう」

これに対して伊東は即答する。

「証人は一切不要。私が信頼するのは、丁汝昌という一人物である」

丁提督は、もはや思い残すことはない・・・と、自害する。

降伏後、清国側は伊東に丁提督の遺体をジャンク船に乗せて送る旨を伝える。

しかし伊東はこれに激怒。

「丁提督といえばアジアに威名をふるった北洋艦隊の司令官である。

その亡骸を送るのに、ジャンク船を用いるとは何事か!」

日本が没収するはずだった運送船に亡骸を乗せて送るよう伝えた。

丁提督の部下は、この温情に号泣した。

丁提督の遺体を乗せた船が出港するとき、日本艦隊は、各艦半旗を掲げ一列に整列し、

旗艦「松島」からは弔砲(弔意を表すために発射される礼砲)が放たれた。

伊東は最敬礼で見送った。

このことはタイムズ紙で報道され、敵に対しても礼節を重んじる日本海軍の姿は
世界の日本への目を改めさせた。

丁提督にも長い年月をかけて育ててきた大切な部下200名がいる。

丁提督が最後まで抵抗し、戦えば、その命まで奪うことになる。
かといって国を思えば、ただ降伏することも出来ず、
自分一身と軍艦を犠牲にした采配に対し勝海舟は、
蕭条たる海戦史の秋の野に、一点の紅花を点じたと述べた。

伊東祐亨は初代連合艦隊司令長官

日本海軍がいかなるものであったか、ここに見たように思う。
明治であっても、どこまでも武士なのだ。
『諸共に たてし勲をおのれのみ 世に誉れある 名こそつらけれ』
天皇陛下、国民、命を投げ出して戦った部下がいてこその勝利であって、
自分に対する名誉や地位は恥ずかしいものだと、どこまでも謙虚。
生涯軍人であり、政治に関ることはなかった。

喧嘩をするにしても、自分より弱い者と喧嘩するな。

これは鉄則に思う。
普通に考えれば連合艦隊の規模は、北洋艦隊に勝てるわけなかった。
では何故挑んだか。
何故勝てたか。
やはり、歴史を学ぶにはエピソードから入ったほうがよいと思う。
そこで興味をもつことにより、探求心が生まれる。
勉強は知りたいからするものであって、
受験や就職を有利にするためでは無いと思うんだ・・・
日清日露と憶えても、
だからどーした。で、終わってしまう勉強で、心は養えない。
心を養うとは、生きる力を授かることでもある。

勝海舟の氷川清和を読むと、

勝海舟は北洋艦隊が来日した折に招かれ、中を見学すると、
備品に至るまで見事なまでに支那製ばかりだったとある。
日本は欧米化することで戦力を鍛えてきた。
清国は、変えることが出来なかったのでしょうね。
そして中国は今も変わらない。
中華思想(中国が宇宙の中心であり、その文化・思想が神聖なものであるという自負)のまま。
どちらがよいとは、一概に言えないけど、
自分が宇宙の中心に立ってしまうことの怖ろしさを、立っている人間は気付かないのかも。

戦争はいけない。

誰も戦いたくなどない。平和がいいに決まっている。
でも、我々にはわからないのかもしれない。
その時、その場にいた者にしかわからない気運。
弱い者いじめは許せない。見過ごすことが出来ないという武士の気質。
その時代、その自負が太平洋戦争へ挑むことになったのかもしれないし。

色々考えさせられます。

この時代の人たちは、命を惜しまない。
何故なら、武士だから。そこに理屈はない。
勝海舟も九死に一生が何度あるんだ?生きていることの方が、たまたまな感じ。
命を賭けているから、なんでも出来る。
なんでも出来るから、国を動かすことも出来る。
この時代にヒーローが多いのは、
江戸時代、幼少から武士の魂を叩き込まれた命を惜しまない人だらけだからでしょうね。
これが日本の底力であって、
今は武士道がなくなって、何より命を大切に・・・
うんうん、そうだね。
この変わりようが、日本人なのだと、
そのふり幅の大きさに日本人自身がついていけてない感じがするヨ。