悠久の片隅

日々の記録

イスラエル ありのままの姿

今昔物語を元に芥川龍之介が創作した『藪の中』という小説がある。

事件が起こり、それぞれの立場でそれぞれが証言をする。

各人の言ってることはもっともらしいのだけど、そこから全貌を見渡すと、何故か真相が見えない。

藪の中・・・になってしまう。

世の中で起こるすべてに、正解が見いだせるわけでない。

どれだけ紐解いても、万人が納得する解明、解決が無いこともある。

それが芥川の言おうとしたところで、

中東問題も、複雑に絡み合う要因を紐解いたとしても、どこか釈然としないものがある気がする。

様々な国、様々な民族、様々な宗教、様々な利権、様々な感情、その様々な歴史が混在して

様々な主張をしている。

でも、そういうことでなく、

表面には表れない社会の摩訶不思議がある気がしてならない。

人は、一括りにすることは出来ない。

同じ日本人でも、様々な性格、気質、考え方、生き方がある。

中東も、国という一括り、民族という一括り、宗教という一括り、

どれも一括りで語ること出来ない。

この本を読みながら

井沢元彦の『ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座』

イザヤ・ベンダサン日本人とユダヤ人

も読み返しながら、

人は見えるものが違うんだ。という思いに至る。

観点が違うとも言えるのだけど、見えているものが違う。

晴眼者といっても見ようとしないものは見えない。

また、ひとりひとり、見え方が違う。

芥川龍之介の『藪の中』の世界なんだなーと、答えの無い現実が世界のあちこちにあることに

途方にくれる思い。

アラブでのイスラエルの孤立化。

「それはイスラエルが悪いのか?」という短絡的なものの考え方をすると本質ではなくなってしまう。

イスラエルの政府のやり方が悪いのであって、

イスラエルの国が悪いというような断定は物事を見えなくさせる。

ユダヤ人の中にもアラブ人の中にも過激派はいる。

ユダヤ人が悪い、アラブ人が悪いなど、一括りで決められない。

この本は、政治的背景というよりは、混迷するイスラエルの日常のお話。

難しい話は無い。

東大を出て、製薬会社で働いていた筆者が、仕事をやめ、

ヘブライ語を学びに留学したイスラエルで目にした耳にした日々の出来事を綴っている。

長いあいだ繰り返される戦争、明日の命もわからぬ中で、イスラエルの人たちは、どう生きているのか。

とても興味深く、一気に読んでしまった。

日本人は、イスラエルのことなど知らなくても。特に問題なく暮らすことが出来るでしょう。

でもイスラエルは、まず国際情勢なのだ。国際情勢が命に直結している。

日本人が流されやすいのは世界という広い世間に疎いせい。というのが、あるのかもしれない。

自分の周囲何メートルかだけ把握していれば暮らしていける。長い目で大局を見ることに興味が無い。

人はみたいものしか見えない。価値観が違えば想像も違うし、見える世界も違う。

見る目を養わないといけないなぁ・・・・・