悠久の片隅

日々の記録

拾い子

黒い雲が空一面を覆っていて、

この寒空、外に出たくないなー。

と思いつつ、思いきって出てみると、ひんやりとした空気が気持ちいい。

秋枯れという言葉があるかどうかは知らないけど、

枯れてゆく庭草の醸し出す静けさがいい。

昨日はチューリップやスイセンの球根を植えた。

土いじりしたせいか、土の中からトカゲの卵が出てきた夢をみた。

トカゲの卵は1度見たら忘れられないほど美しい。

薄いピンクと薄いオレンジの間のような色をしていた。

夢の中では残念ながら、そこまで美しくなかったけどね。


「拾い子」

ニコロという孤児にペストをうつされ、ピアキの息子は死んでしまう。

悲しみの中、ピアキと妻は、ニコロを自分の子どもとして慈しみ育てる。

最初に読んだ『チリの地震』の続きと思って読んでもいいと思う。

ピアキは、ニコロに自分の出来る限りのものを授けるが、

成長するにつれニコロは性悪になり、ピアキの妻を精神的に追い詰め死においやり、

ピアキの財産もすべて奪い、

遂に、ピアキはニコロを殺すに至る。

ピアキは捕まり死刑が確定する。

死刑執行の前には、必ず免罪式を行わなければ、刑の執行は出来ない。

私には免罪式がよくわからないのだけど、

犯した罪を悔いて反省をし、神から赦しを得ることと思えばよいのかな。

赦しを得て、罪を償う(死刑)ことで、神の元へゆくことが出来る。

それを行わなければ地獄に落ちるほかない。

ほとんどの人間は、基本的に地獄行きです。何かしらやらかしているのが人間ですから。

それを赦し、天国へといざなってくれるのが神の存在で、

「神様にごめんなさいをすれば、神はあなたを見捨てたりはしませんよ。」

的なことが免罪式かなと想像するけど、

ピアキは、免罪式を断固拒否をする。

地獄とはダンテの神曲をイメージしたらよいのかな。

地獄にいる者は、永遠に苦しむ。。。

司祭たちが地獄の恐ろしさを必死に説いて懺悔をさせようとするのに対し、

ピアキは自分を地獄にいかせようとしない非人間的な法を呪った。

悪魔の全軍団に向かって、迎えにこいと呼びかけ、自分の望みはただ一つ、

処刑され永劫の罰を受けることだと宣言し、地獄でもう1度ニコロを捕まえるためなら、

至高至上の司祭の首っ玉にだって噛み付いてやる!と断言した。

ピキアは、ニコロのいるはずのない天国に行くことなど考えられなかった。

地獄の底まで追いかけ、再度復讐をすることしか頭になかった。

そしてピキアは赦しを受けずに処刑されていった。


人の善いピアキ夫妻が最初から最後まで気の毒で、

地獄に行くことだけが希望なピアキに対し、

「人は最後は救われるべきだ・・・」と自分たちの考えしか受け入れられない司祭たちは、

ピアキの救いが、天国には無いことに気がつかない。

この短編集は、善意が不幸な結果を招いてしまう不条理な物語が多い。

それと、気になるのは、

死の場面で、『脳みそが出る』

そんな死に方が3作品に共通している。

サラッと書いているだけに、なんでそこにこだわってしまうのか。

クライスト自身が34歳で女性を射殺し、クライストも拳銃自殺している。

何か、心に鬱結したものがあったのかと。

16世紀後半のドイツ。

ドイツだけでなくヨーロッパ全土に立ちこめる陰鬱とした空気。

宗教の歴史がよくわからないから、なかなか理解も難しいけど、

神が絶対は良いとして、

人間がしていることは、神の絶対性を利用してしまっていること。

尚かつ、そのことに気づいていない。

弱いからね。

自分の信じたいようにしか信じない。これはすべてに共通していることだけど。

だんだん、頭ぐるぐるしてわからなくなってきた(笑)