悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11353908261.html">生きる</a>

生きる (文春文庫)/乙川 優三郎

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人生には明暗がある。

でも

「何を幸せに思うかは人それぞれ」

どんなに立派な家に住もうと、どれだけみすぼらしい家に住もうと、

その生活がどれだけ満ち足りたものだろうと、日々が苦労の連続だろうと、

それがなんなんだ。

生きることは、こんなにもつらいものかと、涙しながら読んで、

読んだあと、清清しい気持ちになった。

この生きる厳しさ、清清しさは、時代小説でなくては描けないんじゃないかな。

こころの処方箋 (新潮文庫)/河合 隼雄

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『生きる』を読みながら、この本の中の言葉が甦ってくる。

本というのは不思議なもので、

言葉が・・・思いが・・・リンクしている。

解決は向こうからやってくる。

ものごと、努力によって解決しない。

努力とは、努力するしか他に仕様がないから、多少なりとも努力しているだけのことである。

この本の3編の小説はまさにそう。

真面目にまっすぐに生き、その努力が報われたわけではない。

まったく報われない中で、

別な意味の救いがあらぬ方から降りてくる。

多分

人生って

そういうもの。

どうにもならないものは、どうにもならないが、

それでも、

人生に別の方向から光が射しかけてくるのではないかな。

好きな人に尽くすのも、

尽くさなければ、捨てられる・・・・・

そんな思いがある。

でも

尽くしたって、

捨てられる時は捨てられる。

こちらの努力と、ものごとの結果は別の次元の話。

ある意味努力とは、自分のリスク回避でしかないんじゃないかと・・・思う。

リスク回避のために、努力せずにはいられない・・・・・・・

うん、自分の為。

自分の為に努力させてもらってる。

怖いのは、努力の中に逃げ込むこと。

解決するはずのない努力をし続けることによって、

何かの免罪符にしようとしているのではないか。

ふぅむ・・・

これはあるな。

介護なんて、こんなことの連続だったかもしれない。

いったい誰の為の、なんの為のリハビリだったかと。

何かしなければ、いられないから、医師も介護者も病人を型に押し込む。

恋愛もそう。

私は、これだけ愛したのに・・・・・・

いやいや、

愛したって、その分返ってくるもんじゃないのだよ。残念ながら。

結果ばかりにしか目がいかないと、苦しい。

これだけのことをさせてもらえていること、

それでよしとするしかないんじゃないか。

生きている限り、運も不運もある。

今日の安泰など、明日どうなるものかもわからない。

不運を恨んだところで、そこから解決出来るものでもない。

正直に生きたからといって、よい人生が待ってるわけでもない。

でもすべてを受け入れ、失ったものに呆然としながらも

生きるとはそういうことなのだ、それでよし。と、自分自身で思う。それしか無いんじゃないかな。

『生きる』短編ながら圧倒的な重さのある作品。

感動。