悠久の片隅

日々の記録

個の自立、国の自立。

福翁自伝 (講談社学術文庫)/土橋 俊一

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『福沢は在野の人であって、しかも民権論者というカテゴリーにも入らないぐらいの、

ずっしりとした市民精神を持った人ですね。』

司馬遼太郎福沢諭吉観。

う~む。福翁自伝を読むとその感覚がわかる。

この時代、「攘夷だ!」「開国だ!」と日本は二分されていた。

ひとつのブームのように日本中はどちらにつくかの争論に終始する。

そんなご時世に、

福沢諭吉という人は、そのどちらでもなく、とてつもなく高い所から日本を俯瞰してみている。

長州など攘夷派が自分たちの思想で新しい国を作ろうとするのは

国のためなんてものではなく、『単なる私ごと』とみている。

要するに、福沢諭吉の目から見れば、テロリストなのでしょうね。

自分の思想でなんとかしようとする国はダメだと。

国民ひとりひとりが国のためになるような努力を重ねることで日本を支える。

それが国のあるべき姿なのだと。だから自分は自分の学問を究める。

自分の力で国をなんとかしなければという名誉心などないし、そんなもので良い国が出来るとも思っていない。

福沢は幕府の仕事をしていた。

葵の御紋の横暴をイヤというほど味わっているから徳川幕府を嫌う。

幕府のために。と考えたこともなければ、恩を感じたこともない。

自分の知が生かせる職場だからお勤めしているだけと割り切って、封建制度を親の仇のごとく思っている。

開国論に見える幕府も、精神は天下随一の攘夷藩。

他国から迫られ渋々開国論を述べているにすぎず、鎖国家の巣窟だと。

本当の意味でグローバル化など程遠いと。そんな政府に同情の余地もないと。

福沢諭吉は、明治時代に現代の人がひとり混ざってしまったみたいな人ですね。

福沢諭吉というと慶応義塾ですが、

幕末混乱期。警察も司法も機能していない物騒な世の中。

どこの学校も閉鎖する中、慶応義塾だけは続けていた。

どんな時も学びたい人たちはいる。

「世間に頓着するな」と少年たちを励まし、

「藩に背いてでも、こんなことで命を落とすことないように」と説いている。

儒教教育の弊害をわかっていて、

これからは国際感覚を身につける。それにはまず英語だと。

そんな福沢のさらなるすごさは、慶応義塾にさえこだわっていない。

潰れることになってもなんとも思わない。

『是非とも慶應義塾を永久に遺しておかなければならぬという義務もなければ名誉もない。

初めから安心決定(あんじんけつじょう)しているから、したがって世の中に怖いものがない。』

誰にお金を借りてやってやったことでも、誰の断りを得てやってることでもない。

何事にも執着しないとこが福沢の凄味。

『家にある子は親の子に違いない。違いがないが、

衣食を授けて親の力相応の教育を授けて、ソレで沢山だ。

どうあっても最良の教育を授けなければ親たる者の義務を果たさないという理屈はない。

親がみずから信じて心に決しているその説を、子のために変じて進退するといっては、

いわゆる独立心の居処が分からなくなる。

今後もしおれの子が金のないために十分の教育を受けることが出来なければ、

これはその子の運命だ。幸いにして金が出来れば教育してやる、

出来なければ無学文盲のままにしてうっちゃっておく。』

人に頼る(お金を借りる)ことなく、良くも悪くもすべて人間万事天分。

愚痴をこぼしたこともない。

特にお金に関しては律儀を極めていて、

自分に利があるようなことが嫌いなのだ。

落ち着かない心地になってしまう。

福沢が終始語るのは、人としての独立。

自身独立自力自活。

国の独立は、ひとりひとりが覚悟を決め、一切に頼ることなく独立する上にある。

人に頼る、お金に頼る、国に頼る、思想に頼る、

政府をなんとかしようとか、あの党はダメだからこの党とか考えるけど、

自身の独立無くして国の独立は無い。

人と議論をしない。

『生来六十余年の間に、知る人の数は何千も何万もあるその中で、誰と喧嘩したことも

誰と義絶したこともないのが面白い。

すべてこういう塩梅式(あんばいしき)で、私の流儀は仕事するにも朋友にも交わるにも、

最初から棄身(すてみ)になって取ってかかり、たとい失敗しても苦しからずと、

浮世の事を軽く見ると同時に一身の独立を重んじ、人間万事、停滞せぬようにと

心の養生をして参れば、世を渡るにさまでの困難もなく、

安気に今日まで消光(くら)して来ました。』