悠久の片隅

日々の記録

白村江の戦い

司馬遼太郎全講演 [5] (朝日文庫)/朝日新聞社

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読了。

『飛鳥の地は日本人の魂の故郷のようなところです。しかし、その飛鳥の地を作ったのは、

考えてみれば、たいてい朝鮮半島から来た人々でした。官吏が多かった。』

白村江の戦い朝鮮半島へ出兵した倭国は大敗した。

その時、百済の難民を多数受け入れた。

奈良の良い場所をどうぞ♪とあげちゃった。

奈良に場所が無くなると、近江あたりをどうぞ♪とあげちゃった。

そんな時代があったのですね~、いい人ですね。倭人

高麗からもたくさん来て、関東あたりへ案内した。

人の交流があり、文化が混じり合い、自分たちに適した良いものを取り入れ、人も国も育っていく。

縄文時代は9000年続いた。

なんの進歩も無い9000年は、まったく他民族が入ってこなかったからでしょうか。

食べて、寝て、30歳に満たずに死ぬ。それだけを9000年間繰り返してきた。

それはそれで、いい時代なのかもしれないけど。

今西暦2015年。それを考えると、たった2015年と思えてしまう。

鎌倉時代も、奈良時代も、実は、私が思うほどは遠い昔ではないのかも。

孔子のいうことに、うんうんと頷き、改めてすごいなーと感心させられるのですから。

混じり合うというのは、受け入れることでもあって、

単一は良い所もあるけど、刺激が入らないことで凝り固まってしまう性質があると思うのです。

『恩はきせるものではない。』と司馬遼太郎は言う。

そうですね。

百済の難民たちを受け入れたことを、受け入れてあげたというのでなく、

それにより日本の律令の確立の助けとなり、勿論良い面だけではなく、

様々な問題も発生したでしょうけど、近江はきらびやかな国際色豊かな土地となり、飛鳥文化にも大きく影響を与えた。

民族が混じり合うことで、様々に問題は起きます。

それをいかに、良い方向へ持っていけるか。

その時のひと次第です。こころ次第です。

今も日本は中国や韓国、ロシアと領土問題を抱えていて、

どっちのものか敵対している状態です。

でも奪い合いでなく、双方の助けになるような、領土の使い方はあると思うのです。

民族が混じり合って生まれるもの。混じり合ってしか生まれないもの。

そんなものがきっとある。

まったく思いもよらなかった新たな面がきっと出てくる。

勿論それがさらなる問題も生むでしょうけど、それはまたその時に考えればよいこと。

現時点で、領土問題の解決を推し進めることは無理でしょう。

でも悲観することなく、今は保留のままで、いつか今よりも少しでも国家間の関係が改善されてゆけば、

いつか・・・いつか・・・それも可能になるかもしれない。

百済の難民を受け入れ、どうぞどうぞと、文化の交流を図ったように出来ないことではない。

まだたかだか2015年。西暦3000年には、5000年には、

『そんな時代もあったんだね』と笑える日がくると信じて。

白村江の敗戦で日本は初めて国境というものを意識し、防衛を考えるようになった。

いつ新羅が攻めてくるか、白村江で惨敗しているのですから怖かったでしょうね。

日本が初めて外国と戦争をして初めて負けたこの戦いは、色々なことを私たちに与えた。

教科書の中の1頁で済んでしまうような出来事ではないし、それで済ませてしまうことが現代の過ちに感じる。

この戦いで日本が何を考え、何を大切にしたか、

出来事の本質をゆっくり考えていく。それが学ぶということ。

『アメリカ人の家庭の灯火を確保するために、クジラをとる。

蒸気船ですから石炭がいりますが、それほどは積めません。

日本を開港させろということになった。補給するのにもちょうどいい位置だし、

日本近海にもクジラがたくさんいる。そのためペリーが艦隊を率いてやってきて、

尊王攘夷がはじまり、やがて明治維新になる。

大変な騒ぎになるもとは、アメリカ人のともしびを得るためでした。』

おかしなものですね。

ペリーの要求は捕鯨のための開港だった。ホントかな(笑)

それが、日本がひっくり返るほどの大騒ぎとなったのですから。

外国が無理難題押し付けてきたー!このままでは属国にされてしまう!

尊王攘夷だー!戦争だー!開国なんてとんでもない!徳川幕府をぶっつぶせー!

そうして幕府潰しておいて、いざ天下をとると西欧を進んで取り入れどんどんハイカラになっていった。

先導者の西郷どんもびっくりですよね。政府に反旗を翻し散ってゆく。

勝てば官軍とはいったもので、西郷さんや会津が気の毒でならない。

敵将の慶喜が戦線離脱してしまい、官軍はふり上げた拳を会津に向けた。

会津だって好きでこんなお役目引き受けたわけではない。

引き受けた時点でこうなる運命をわかっていて、せざる負えなかった。

維新』という言葉は会津の悲劇や河合継之助の無念を伴っている。

今は、日本は反捕鯨で糾弾されている。

時代は変ったけど、100年たっても、1000年たっても、会津の悲劇は語り継がれるものでしょうね。