悠久の片隅

日々の記録

言葉の虫めがね

朝、窓を開けると気持ちのいい風が入ってきた。

花曇りって落ち着く。

めまいも、ふらつきも、頭痛もない。

春になって朝一まず庭仕事をしていたけど、今日は洗車。

嫌いなことは後回しにしていたけど、さすがにこれでは車が気の毒。

人は、しなければいけないことを後回しにする。

やれない言い訳などいくらでもある。

でも、やれないのでなく、結局自分に言い訳してやらないだけなのだと思う。

本気でやろうと思えば、なんだって出来る。

英国ダイアナ妃が離婚した時、私はそう思ったんだ。

9時には洗車も終えてやれやれ。

そのあと、庭でダンゴ虫の集団みっけ・・・

ダンゴ虫は悪いことしない。

枯れた葉っぱ食べて、土壌改良に一役かってくれているのだから感謝すべき存在。

でもいっぱいいたら、気色悪い。

あんなに足がいっぱいあって、いったいなんの役に立つんだろう。

ダンゴ虫が2本足で、逃げる時には立って走ったら、可愛いかもしれないけど、

足がいっぱいあるのは、特にやだ。足って、動くから怖い。

申し訳ないけど、少し薬まいた。

アリもダンゴ虫もいるのは良いけど、大量発生は自然破壊になる。

なのであまり多く生息していたら、退場してもらう。

でも自然の循環の中では、皆なんらかの役を担っているのだとは思う。

蜘蛛は蜘蛛で虫を捕まえているんだし、

それぞれが、それぞれの特技を生かして、生きることを悪戦苦闘している。

ガーデニング

植物それだけを育てるというのは本来の自然とは真逆の行為なのかもしれない。

多少の雑草や虫とも共存し、虫も草もお互い文句言いながら迷惑かけながら仕方なく我慢していくのが自然で、

根こそぎシャットアウト!みたいなガーデニングは人間のエゴだと思う。

私だって、本心では虫も爬虫類もこの世から一匹もいなくなって欲しいけど、

そんな世界は、きっと人間も住めない。

もっといえば、

いるのはいいけど、私の庭には来ないで欲しい。

これこそが、エゴなのだと思う。

大筋では賛成。でも自分にふりかかることは反対。

世間ではみんな「もう少し行政がなんとか・・・」と言うけど

行政はタダじゃない。

行政に頼ることは、税金が上がることを意味する。

何かして欲しいことがあったら、その分税金は上がるのだ。

今、行政に頼る層が増えている。

中間層に税金のしわ寄せがいって、中間層が崩壊してしまったと言っていいと思う。

頼る層が増えれば、頼られる層が決壊し、頼る層になってしまう。

悪循環。総崩れになっていく。

日本には高額所得者は少ない。

フランスは消費税が20%だから、国民は行政に不満も言えるが、

5%の日本では、頼っても無理でしょ。

行政に頼って解決はない。

海外では、子供が旅行者にお金をせびる国もある。

それを日本人は、顔をしかめているけど、

コーランの世界では貧しい者に富める者がお金をあげるのは当たり前のこととされている。

日本では行政がやっていることを、

彼らは自分の手でやっているだけのことだ。

ただ行政に頼るより、彼らの方が自分の手で自分の労力を使い自分の取り分をとってるのだから

前向きな貧困層とも思える。

『行政』やら『民意』やら、

政治も社会もコピーライターのような謳い文句に乗せられている。

自民党のあれだけの党員がTPPには反対していたのに、蓋を開けて見ればTPP参加表明しているのだから、

やはり民意なんてものはない。

車を洗いながら、なぜだか怒り心頭で頭から湯気出てた。

庭仕事してる時は、怒りなんてない。

好きなことと好きじゃないことをやってるのとでは心の安定度が違う。


言葉の虫めがね (角川文庫)

言葉の虫めがね (角川文庫)

永井路子の古典のエッセーに続いて俵万智の日本語にまつわるエッセー。

言葉は一瞬であり、永遠であり。

古典の俳句や短歌の少ない文字数の中の凝縮した思い、

それこそ血のにじむような思いをして言葉を紡ぎ出している。

『行政』とか『民意』とか身の無い言葉、ごまかしの言葉とは違う。

『超』とか『かわいい』とか合理的な言葉とは違う。

派手な言葉は使わず、静かに心に染み込んでくる。

落ち着く・・・