悠久の片隅

日々の記録

明治という国家 1

明治という国家(司馬遼太郎

この本を読みながら、

私がハっと感じたのは、

天皇バンザイ」と言いながら身を投じた者たち。

それがなんだったのか・・・・・

私がびっくりしたのは、

戊辰戦争の折、会津城が攻囲されましたが、会津の百姓、町人には無関係でした。

かれらは[侍のなさること]として傍観しておりました。

これが、封建制度だったのです。

今は、国民だの平等だの当たり前のように権利を主張しているが、

明治以前には、国民も平等も無かった。

国民という発想がない。

藩を超え、日本国、そして日本国国民というものを初めて描くことが出来たのは、

おそらく勝海舟だったであろうという。

人びとが平等になるためには、

士農工商を廃止し、藩を廃止する必要がある。

これを

『士』が行った。

それが日本のサムライの精神ということなのだと思う。

『士』という自らの権利を葬る。

徳川を葬り去る以上に、自らをも葬り去ってしまうわけですから、

こんな革命が起こるのも江戸時代のサムライの精神の高さなのか、

あくまで結果・・・なのか。

すべての人びとが平等になるため、

幕府を廃止し、藩を廃止し、士農工商を廃止。

民が『一律平等に日本の国民』となるための

唯一神聖な存在として『天皇』が導き出された。

日本国は、天皇の元、民が皆平等となることが出来た。

天皇とは、

日本人が、日本人として存在し、そして誰もが等しいという、

平和の象徴、人びとの願いそのものだと感じる。

天皇バンザイ』とは、

天皇が偉くて、すごくて、バンザイなのでなく、

天皇という存在の元で、皆が同じに人間であることへの喜び、感謝、誇り、

そういう歓喜の雄たけびであり、

それが愛国心にもなるのだと思うけど。

それがいつの間にか利用されベクトルを変え、

天皇』の名の下に戦争をおっぱじめることになってしまうのだけど。

流転の王妃の昭和史(愛新覚羅浩)の中で

日本敗戦、満州国崩壊を経て、なんでも言える時期となり

帰国した浩が皇太后さまとお会いした折、ようやく軍部の卑劣なやり方を正直に申し上げたときに

「なぜ、もっと早く言ってくれなかったのですか。いまとなっては遅すぎます。」

そのお言葉に胸がつまる思いです。

本当に遅すぎた。取り返しのつかないことになってしまった。

唯一神聖な『天皇という存在』であるが故、逆に抜け穴となってしまったことが、日本の最大の不幸です。